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2018年02月28日

叱責でのコントロールは意味がない

こんにちはpyoです。
いま不意に頭に浮かんだ言葉、「叱責」。

「叱責」-
『他人の失敗などをしかりとがめること。』  goo辞書
『言葉による処罰』 Weblo類語辞書


処罰なんだー。(・。・)

叱責の反対は「賞賛/称賛(しょうさん)」だそうで。
人って、言葉だけで罰を与えたり賞を与えたりできる生き物なんですねぇ。
(^ー^)

よく「失敗が怖い」という反応に出会うのですが、これは

 完璧でなければならない

というビリーフ(思い込み)があるわけですよねー。

で、完璧でなければ?
処罰(叱責)が待っている。

なるほど、怖いわけですねぇ。


で、誰が処罰を与えるかというと、・・・大概は、自分自身ですよね。

誰がどう言おうと、自分がダメ出しするのが一番厳しいわけですから。


だけど、完璧でなければならない、というビリーフは同時に
「完璧ではないから」が入ってきます。
そもそも、完璧だったら「完璧でなければ」なんて考えませんもん。

つまりどうあがいても処罰(叱責)はついてくる。


でもね・・・
人って、人が思う形に完璧に出来上がっているのか?というと・・・

叱責でのコントロールは意味がない

それこそ色んな色や形があるわけですよ。

幼児のおもちゃに、この「形」をあわせて穴に入れる、
というのがありますよね。

でもこれを「人」だと考えてみてください。
人の能力だ、と。


ピッタシの形に入れることができればいいんですが
違う形の穴に入れようとして「入らないじゃないか!」って怒っても
そもそも違う形なんですから、入るわけない。

◯の穴に△を入れようとして、入らないのを怒って
「完璧な◯になれ!!!」って・・・無理ってば。

そしてね、もし◯を丸の穴にいれようとしても
穴より大きな◯だったら?

叱責でのコントロールは意味がない


自分が想定している小さな◯に、大きな◯が入らないからって
叱って、小さく萎縮しろーーーーって・・・

 意味ないし。





叱責でのコントロールは意味がない
叱責でのコントロールは意味がない
叱責でのコントロールは意味がない


ねぇ、同じピンクの花でもこんなに色々ある。

みんな、それぞれが
♪世界に一つだけの花
なんですよねぇ。


醜いアヒルの子は、アヒルの中では醜かったけど
本当は美しい白鳥だった。


合わない「完璧」に、自分を合わせる必要はないんだ、と
自分のありのままを認めてみてくださいな。

ハート



あ、ちなみに
恐れて人を叱責する人の中には、
生体エネルギーが低下している・・・つまり身体の具合が完璧じゃない、って事もありえます。

そうなるとね、自分が乗り越えられないという恐れ(完璧じゃない)があるので、
恐れを隠すための防御(=攻撃、口撃)に入る場合もありますよー。


冷静に状況を見極めてみましょ。
ハート



100% -ジェームス・スキナー著
本日の個人セッションの方、おすすめしたのはこの本です。




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Posted by 町田律子(pyo) at 17:00│Comments(0)解放への道
迷惑コメントが入り始めたので「承認後受け付ける」にしています。すぐには表示されませんがお待ち下さい。
 
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