2018年04月26日
スピリチュアルの感度3
『わたしたちは、外からの波動(情報)を受け取って、
身体の内部で情報を伝達し、情報処理を行って
「こういうものだ」と、外側から来る情報を分類・ラベル付している』
スピリチュアルの感度2 より
こんばんはpyoです。
『スピリチュアルの感度1』『スピリチュアルの感度2』の続きです。
『スピリチュアルの感度2』では、
視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚という五感についてご説明しました。
んで。
スピリチュアルで言われるのは「第六感」と呼ばれる感覚ですね~。
あるやなしや?
(いやそもそも、「五感」って誰がそう分類したんでしょ?
いつ、どういう研究を元に五つだと定めたんでしょう?)
第六感については、対応する身体の器官が見当たらない、という話もあれば
いやいや、胃腸がそうなんだよ、という話も聞いたことがあります。
Wikipediaでは、五感についてはツッコミ(文献が不明)というのが表示されているのですが
第六感については、きちんと書かれています。
『第六感(だいろっかん、sixth sense)とは、基本的に、五感以外のもので五感を超えるものを指しており、理屈では説明しがたい、鋭くものごとの本質をつかむ心の働きのことである。』
「なんとなく…◯◯さんのことが気になるわ、と思ったら◯◯さんから電話が来たわ」
とか。
「今日はなんとなく嫌な気がしてたら、事故にあっちゃった」
とか。
第六感ってね、「気」を感じる感覚だと私は思うんです。
んじゃ「気」って何じゃらほい?
『気(き、KI、Qi)とは、中国思想や道教や中医学(漢方医学)などの用語の一つ。一般的に気は不可視であり、流動的で運動し、作用をおこすとされている。しかし、気は凝固して可視的な物質となり、万物を構成する要素と定義する解釈もある。宇宙生成論や存在論でも論じられた。』
このWikipediaの説明、私はとっても気に入ってます。
それはこの説明。↓
『気の問題点
主に金銭の授受が含まれる医療の面で、問題となるケースがある。
西洋医療には、「気」という概念はないが、
前述のように中医学領域において「気」という概念が取り扱われることがある。
また気功療法においては気の概念は無くてはならないものである。
各分野によって都合の良い解釈がされており、統一した概念がなく、曖昧な存在となっている。
医学の分野に限っても、漢方における「気」と気功でいう「気」の間には大きな乖離がある。
凝固して可視的な物質という概念もあるが、
数値化して測定することができなく、存在を科学的に証明できていない。
上記にも関連するが、科学的手法で解析された学術論文が皆無であること。
治療や指導が、医師や鍼灸師以外によって為されるケースも少なくないこと。』
スピリチュアル世界の曖昧さ、まぁ~んま。(^m^)
つまり、「ない」わけじゃなくて
「『気』という概念について、ちゃんと一つにまとめる研究がされていない」だけなのね~。
例えば「りんご」と「Apple」のように、
はっきりとした物質を指すわけじゃないので
お互いがそれぞれの脳内情報処理により「気」というのをイメージしてる、ということ。
でも「気」を「感じる」のは、誰でも知っているはずです。
日本語にすると「気になる」とか「気配がする」とか
「空気を読む」とか「気付く」などなどなど。
以前、知人の「気」が届きました。
(ちょうどその時、わたしの噂をしていたそうです。)
すると私はその「気」を感じ、次にそれを脳内処理したわけですね。
でも「気」に対する直接の脳内処理用の情報はありません。
だから、私の脳はその時「可視化」したようです。
眼の前のPCとキーボードのところに、彼女の顔がにょきっと生えるように「見えた」んです。一瞬だけね。
私の初めてのスピリチュアル体験は(スピリチュアルと認識してからの初めて)
「龍の姿が視えた」ことでした。
でもふっと目の端に見えたような見えなかったような?
もちろん、きちんと見ようとしたら、見えません。
この時、「私…アニメの見過ぎだ」って思って打ち消したんですよ。(^^;
つまり私の脳内情報は「アニメ」や「マンガ」で処理しちゃったわけですね。
だから気のせい、気のせい・・・
(ホントに「気」のせいだったんだけど:龍の気つまり龍の波動ね)
と無視を続けていたら
龍がリーディングできる人のところに下りてきて
その人がわたしに伝えてくれました。
「龍が来てますよ。気づいてください、って。」と。
その時から私が「視えた(気を感度でキャッチした)」のを
脳内情報処理で「視えた・聞こえた」と思いながらも
「まさかぁ~」と感情が打ち消す、という最終処理を
なんと数年続けてきました。^^;
これね、受け取った情報(気)の処理を、
私の脳内情報では当てはめやすい情報に当てはめていたんです。
だから、「目」という視覚では見ていないのに
イメージが脳内に投影されるので
「なんとなく、妄想」みたいな感じになる。
つまり「記憶」にある映像を「当てはめている」と感じてたわけです。
音で感じやすい人は、音がきこえる・・という処理をしているはずです。
何もないのに、いきなり花の香りがした・・・というときに
女神が来たとか、天使が来たなどの
イメージが当てはまることもありますよね。
これは嗅覚情報で処理したわけですね。
私が受け取った波動の情報を
自分で受け止めて、処理しやすくなったのは
物語としてこれらの「気」を書き始めてからです。
「伽羅弧物語」「龍物語」などなどのシリーズになってます。
そして受け取ったイメージをアートにしてみたり
アートを描きながら、言葉(文字)として集中して処理したりを
繰り返してきました。
アートを描いてたのは、瞑想方法のひとつとしての処理でした。(^^)b
雑念が浮かびにくいんです、ただ黙想しているより。
また長くなった~・・・ので、つづく。
迷惑コメントが入り始めたので「承認後受け付ける」にしています。すぐには表示されませんがお待ち下さい。