2007年11月23日
自然に学ぶ
自然も、人も
at 2001 11/26 by pyo
一週間、野営での研修を受けてきた。
森の中で、人の生活の影響をなるべく与えないキャンプを行う。
そしてスカウターとして、必要な事をたっぷり学び、話し合い、議論してきた。
草の上にどっかと座って、またはランタンの明かりの元、
悩みを語り合い、仲間達と助け合って生活してきた。
朝と夕、ゾッとするような数のやぶ蚊が活発に活動していた。
蚊を掻き分けるように歩く。
野営場では侵入者はこちらのほうなので
「通してください。」
とお願いして通していただく、そんな気になるから不思議だ。
最終日にこんなお話をいただいた。
「森の中の植物は、ここに種を落とし、ここで育つ。あるものは1年でその命を終え、あるものは何百年と命を続ける。 でも変わらないものがある。植物は、命を得たその場所から逃げ出すことはできない。」
思いっきりグサッと突き刺さった。
わたしは、逃げ出すこと、避けることで解決したような気になってきた事項がかなりある。
でも結局根本解決にはならない。逃げ出すことは何の解決でもなかったのだ。
このお話をいただいた間、
好きな方角を向いて自然を見なさい
と言われたので日の昇る東の丘を見上げていた。
研修の為に大勢の人が集まって笑ったり泣いたりしているこの野営場が、
誰もいなくなって、静かな地に戻る瞬間を思い描いた。
私にとっての大きな思いや悩み、喜び、苦しみは何てこの自然の中で小さなものなんだろう。
泣こうがわめこうが自然はただそこにいる。
批判も慰めもなく、ただそこに同じように存在する。
それって、人の集まりである町では「人」そのものが「自然」に置き換えできるんじゃないか?
自然は自然のままで、変えずにありのままでいてほしいと願い、
努力しながら自然と向き合っているつもりなのに、
自然を人の集まり、社会に置き換えてみたら
なぜ「変わってくれないのか」と悩むのか。
なぜ自分の想いが伝わらない、理解してくれないと悩むのか。
自然は何も語り掛けない。
答えを頂戴と叫んでも、ただ同じように存在している。
時にはやさしく包んでくれ、時には脅威となる。
自然を理解し、自然をありのまま受け止めていこうとしているのに、
人が人として存在しているのを
何故自分の都合のいいようになってくれないと悩むのか。
一週間の長期キャンプは、色んな事をわたしに教えてくれた。
あれから6年たったんだなぁ。
あの時ほど人と人とのかかわりに悩む事はなくなったけれど。
ありのまま、自然のままに生きるという事について「考える事」は、今も続いてます。
だけど久しぶりにこの石の前に立って、
この石が相変わらずここにあること、その事に安心感を覚えています。
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