2019年03月25日
「鬼神」の本当の意味
こんばんはpyoです。
「pyoさん、鬼好き」
って面と向かって言われると笑っちゃうしかないんですが。(^^ゞ←言われた
むか~し、異形の者たちのメッセージ(ココペリからのメッセージ)を受け取った事がありまして。
=> 異形の前世
まあ多分、人間としての転生だけでなくて異形の転生も結構あったんだろうなぁ、っと。
先日、たまたま他の言葉の語源を調べていたら
『鬼神』の語源に出逢いました。
・・・(^^; あら。
私がお伝えしたいと思っている「エネルギー体の仕組み」の根本情報ここにもありました~。
アストラルエネルギー体+エーテル体が昇華せずに地上に残った時が『鬼』。
つまりこれが高次元からの本質の魂のことで
肉体が朽ちて離れると元の魂塊に戻ります。
(というかもともと元の魂塊から離れてない)
それを『神』と呼ぶのがもともとの漢字の意味として説明されてたわけですね。
すると、メンタル体とかコーザル体とかも「神」の範疇に入るって理由が、わかります。
(という話は、『エネルギー体の仕組み』で話してますが、このブログで検索かけたらどこかに書いたかも。)
いつの間にか一神教(主にキリスト教)の考え方がごっちゃになって
「神」という言葉の意味が変化してしまってますが
本来、日本にキリスト教の教えが入ってきた頃は、神とはよばずに「主」「ゼウス」と呼んでたそうな。
で、この「人であったけれども天に戻った魂気」とは別に。
さらに高次元に位置する、
人にならない高いランクの魂の存在というのもいまして。
「天部」(仏教用語)で表現されている存在たちが、そう。
と、ご質問いただきました。
ありがとうございます。(^^)
神を背にして神と向き合う、というのは
上記の表記で書き換えると
『天部を背にして、鬼神と向き合う』
ということです。
別に鬼神を退治したいとかそういうことではなくてね。
封印されちゃってるとか、地縛状態にいるとか
人との契約に縛られて動きがとれなくなってるとか。
(でもそれやった「人」はとっくに亡くなってる…何百年か前にとか)
ということの解消に動きますよ~、って話です。
(これあまりに溜まりすぎると、
特に人の想いが妙な溜まり方しすぎると・・・
災害が発生しやすくなるんです。(ーー; )
そういえば人の祈り、特に「願い」が溜まりにたまって動きがとれなくなり、困って怒っている地神がいましたよ~。
ガジュマルの木のとこの拝所でね。
古い存在たちには古い言葉の意味しか伝わってないので。
「願い」をしたら、その願いが叶うような適切な行動を人が起こさないとならない
んですよ。
例えば家内安全を祈るなら、家族が安全に和気あいあいとすごせるような家庭生活を心がけて日々過ごしているかとか。
健康祈願をするなら、健康的な生活を心がけるとか。
交通安全を祈願するなら、徹底的に安全な運転や態度と心構えをするとか。
(ちなみに事故に遭遇する場合、悪い気を呼び込んでいたりするとか、自分と繋がっていないとか、気づくべきことを無視してるとか、エネルギーが低い事が多いです。)
合格祈願の場合、合格するくらいの実力と心身状態を整えてなきゃならない。
その上で、試験の日のアンラッキーを排除するようなできる限りのサポートをしましょう、というのが祈られた存在たちの立場です。
恋愛成就の祈願の場合、ちゃんと相手を思いやるとか相手を受け入れる心身状態にしていること、恋愛対象になれる努力をしていることなど。
(生物としてはつがうには子孫をもうける事が目的になりますから、それに適した健康な肉体にしているか?も入るようです)
ということで、祈願には自主的な適切な心がけと行動が必ずセットなんです。
それをせずに、祈りっぱなし、任せっぱなし、
出来ない出来ないをカウントしてばっかりとか
かつ、祈願の取り下げも成就報告もしないとなると
流石に祈られた方も困るしいらつくし・・・なんですねぇ。
そう、地上の自然霊で神さま扱いされている存在たちは
喜怒哀楽な感情を持っているので、
決して愛100%ではないので
人間のご都合主義には腹をたてること、多々あるようです。
それでも辛抱強いですよね~、数百年も待っててくれたんだとすると。
こうした「終わった宣言のない願(行動宣言)」が溜まりに溜まって
ある意味、ゴミ溜めのようになっているところが結構あちこちにあるようなんです。
地球上は、文明という、一見明るい結果から出たゴミが溜まってますよねぇ。
海のゴミは世界中の問題になってますし。
自然の生き物たちへの対応も問題になってきています。
それについてどうすればいいかというと・・・
そうそう、こちらのブログが役に立つかも。
=>宇宙の彼方からの存在に導かれて
こうしたクリーンアップが、エネルギー体の世界でも必要になっちゃってるようなので
実際に動くしかないな、と、腰をあげたわけです。
ちなみに『光の柱立て』を数年前から呼びかけていましたが
個人の内面の怒りを抑え込んだまま、
外のクリアリングをやっている方が時々見受けられまして。
まず、自分を解放する、自己のクリアリングが先に必要なんですよ~。
と、書いておきますね。
自己の内面のクリアリングってね、
幸せ体質になることです。(^^)b
「pyoさん、鬼好き」
って面と向かって言われると笑っちゃうしかないんですが。(^^ゞ←言われた
むか~し、異形の者たちのメッセージ(ココペリからのメッセージ)を受け取った事がありまして。
=> 異形の前世
まあ多分、人間としての転生だけでなくて異形の転生も結構あったんだろうなぁ、っと。
先日、たまたま他の言葉の語源を調べていたら
『鬼神』の語源に出逢いました。
字源より:鬼神
鬼神 よみ:きしん
意味:神霊・霊魂
#1死して土へと帰し、草木に宿る、これを鬼という。
魂気は天へと発揚して普く広がり全てを統ぶ、これを神という。
両者相まって百物の精となる、その根本自然を鬼神という。
・・・(^^; あら。
私がお伝えしたいと思っている「エネルギー体の仕組み」の根本情報ここにもありました~。
> 死して土へと帰し、草木に宿る、これを鬼という。
アストラルエネルギー体+エーテル体が昇華せずに地上に残った時が『鬼』。
> 魂気は天への発揚する
つまりこれが高次元からの本質の魂のことで
肉体が朽ちて離れると元の魂塊に戻ります。
(というかもともと元の魂塊から離れてない)
それを『神』と呼ぶのがもともとの漢字の意味として説明されてたわけですね。
すると、メンタル体とかコーザル体とかも「神」の範疇に入るって理由が、わかります。
(という話は、『エネルギー体の仕組み』で話してますが、このブログで検索かけたらどこかに書いたかも。)
いつの間にか一神教(主にキリスト教)の考え方がごっちゃになって
「神」という言葉の意味が変化してしまってますが
本来、日本にキリスト教の教えが入ってきた頃は、神とはよばずに「主」「ゼウス」と呼んでたそうな。
で、この「人であったけれども天に戻った魂気」とは別に。
さらに高次元に位置する、
人にならない高いランクの魂の存在というのもいまして。
「天部」(仏教用語)で表現されている存在たちが、そう。
『pyoさんの新しいプロフィールの記事に書いてあった
「神を背にして神と向き合う」
「神を背にして人と向き合う」は理解出来たんですが
神と向き合うという意味がわからなくて』
と、ご質問いただきました。
ありがとうございます。(^^)
神を背にして神と向き合う、というのは
上記の表記で書き換えると
『天部を背にして、鬼神と向き合う』
ということです。
別に鬼神を退治したいとかそういうことではなくてね。
封印されちゃってるとか、地縛状態にいるとか
人との契約に縛られて動きがとれなくなってるとか。
(でもそれやった「人」はとっくに亡くなってる…何百年か前にとか)
ということの解消に動きますよ~、って話です。
(これあまりに溜まりすぎると、
特に人の想いが妙な溜まり方しすぎると・・・
災害が発生しやすくなるんです。(ーー; )
そういえば人の祈り、特に「願い」が溜まりにたまって動きがとれなくなり、困って怒っている地神がいましたよ~。
ガジュマルの木のとこの拝所でね。
古い存在たちには古い言葉の意味しか伝わってないので。
「願い」をしたら、その願いが叶うような適切な行動を人が起こさないとならない
んですよ。
例えば家内安全を祈るなら、家族が安全に和気あいあいとすごせるような家庭生活を心がけて日々過ごしているかとか。
健康祈願をするなら、健康的な生活を心がけるとか。
交通安全を祈願するなら、徹底的に安全な運転や態度と心構えをするとか。
(ちなみに事故に遭遇する場合、悪い気を呼び込んでいたりするとか、自分と繋がっていないとか、気づくべきことを無視してるとか、エネルギーが低い事が多いです。)
合格祈願の場合、合格するくらいの実力と心身状態を整えてなきゃならない。
その上で、試験の日のアンラッキーを排除するようなできる限りのサポートをしましょう、というのが祈られた存在たちの立場です。
恋愛成就の祈願の場合、ちゃんと相手を思いやるとか相手を受け入れる心身状態にしていること、恋愛対象になれる努力をしていることなど。
(生物としてはつがうには子孫をもうける事が目的になりますから、それに適した健康な肉体にしているか?も入るようです)
ということで、祈願には自主的な適切な心がけと行動が必ずセットなんです。
それをせずに、祈りっぱなし、任せっぱなし、
出来ない出来ないをカウントしてばっかりとか
かつ、祈願の取り下げも成就報告もしないとなると
流石に祈られた方も困るしいらつくし・・・なんですねぇ。
そう、地上の自然霊で神さま扱いされている存在たちは
喜怒哀楽な感情を持っているので、
決して愛100%ではないので
人間のご都合主義には腹をたてること、多々あるようです。
それでも辛抱強いですよね~、数百年も待っててくれたんだとすると。
こうした「終わった宣言のない願(行動宣言)」が溜まりに溜まって
ある意味、ゴミ溜めのようになっているところが結構あちこちにあるようなんです。
地球上は、文明という、一見明るい結果から出たゴミが溜まってますよねぇ。
海のゴミは世界中の問題になってますし。
自然の生き物たちへの対応も問題になってきています。
それについてどうすればいいかというと・・・
そうそう、こちらのブログが役に立つかも。
=>宇宙の彼方からの存在に導かれて
こうしたクリーンアップが、エネルギー体の世界でも必要になっちゃってるようなので
実際に動くしかないな、と、腰をあげたわけです。
ちなみに『光の柱立て』を数年前から呼びかけていましたが
個人の内面の怒りを抑え込んだまま、
外のクリアリングをやっている方が時々見受けられまして。
まず、自分を解放する、自己のクリアリングが先に必要なんですよ~。
と、書いておきますね。
自己の内面のクリアリングってね、
幸せ体質になることです。(^^)b
Posted by 町田律子(pyo) at 00:37│Comments(4)
│解放への道
この記事へのコメント
よかったら『雨月物語』読んでみてください。なかでも「吉備津の釜」。
上田秋成が、よく似たことを書いています。小説の言葉で。250年ほど前のことですけれど。
pyoさん、小説書かれたらいかがですか?・・・と、かなり本気で思いましたよ。
上田秋成が、よく似たことを書いています。小説の言葉で。250年ほど前のことですけれど。
pyoさん、小説書かれたらいかがですか?・・・と、かなり本気で思いましたよ。
Posted by び ん at 2019年03月25日 18:20
◯びん教授
おおおっ ありがとうございます。
そうなんですね~。
日本の古典文学、ほとんど知らないんです~。
読んでみます。
おおおっ ありがとうございます。
そうなんですね~。
日本の古典文学、ほとんど知らないんです~。
読んでみます。
Posted by 町田律子(pyo) at 2019年03月26日 00:40
ごぶさたしてます(*^^*)
天部を背にして、鬼神と向き合う
記事を読ませていただいて
私の中で、なぜだろうと思っていたことが、あぁそういうことなのかとストンと腑に落ちた気がします。
どうもありがとう
天部を背にして、鬼神と向き合う
記事を読ませていただいて
私の中で、なぜだろうと思っていたことが、あぁそういうことなのかとストンと腑に落ちた気がします。
どうもありがとう
Posted by トネリコ at 2019年03月30日 09:54
◯トネリコさん
ご理解いただき、ありがとうございます。(^^)
ご理解いただき、ありがとうございます。(^^)
Posted by 町田律子(pyo) at 2019年03月31日 00:58
迷惑コメントが入り始めたので「承認後受け付ける」にしています。すぐには表示されませんがお待ち下さい。