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2020年09月15日

乗り越えるという事

磁石の実験って子どもの頃とっても好きでした。
砂鉄を使って模様を描いたり、ね。(^。^) 楽しくて。

乗り越えるという事

磁石にはS極とN極がありますね。
他の磁石を近づけると、S極とS極は反発し、S極とN極は引き合ってくっつきます。

でも。
乗り越えるという事


もしS極しか観察できなかったとしたら。
S極とS極を近づけて反発する事しか観察できなかったとしたら。

磁石というのは永久に「くっつかず反発するもの」だったんだろうなぁ。

でも、磁石にはS極とN極があるとわかれば
その定義はまるで違って来るわけで。

そう思うと、認識って面白いなぁって思っちゃいます。(^。^)


「物事には必ず両極が存在する。
 一見、『悪いこと』と思える事の裏には必ず同じくらいの『良いこと』がある。
 逆も然り。
 結局それはどの極を見るかというだけの違いでしかない。
 物事を見るのなら極端だけでなく、全てを俯瞰することだ。」

by アズマ


ひとつの出来事を指して、良いことだ、悪いことだと判断するのは一方の側しか見てないということなんですね。

でもさ~、片方だけの視点だったと知るには
片方だけの視点を一度体験してから両方の視点を知って
「おお!」とびっくりした方がインパクトあるじゃ~ん♪ (^。^)

あぁつまり、これを知るのが「ノンジャッジ」ってこと?


「あれが良い、これは悪いこと。
 そういうジャッジを経験してきたということは。

 ジャッジを学び、それによりノンジャッジを知るというため。
 そしてその意味と価値を学ぶため。

 ジャッジしているのが悪いという意味でもないんだ。」






こんばんはpyoです。

こんな状態は悪い、悪かった、だからいけないんだ、変えなきゃならないんだ・・・
てな感じで、否定文のオンパレードで始まったスピリチュアル系話題の本を開きまして、
数ページ目でギブアップし、返本しました。

幾つかね、ネット上でもあちこちで見かけるようになった「社会のここが悪い」「こうなった社会が云々・・・」を
スピリチュアル系の話題として見てきて、ちょっと感覚違うなぁ、と感じた話しです。


乗り越えるという事


歩んできた道を否定する必要はない、と私は思うんです。

人が生きて生きた人生の経験値でもあるし
国が歩んできた歴史の道程もまた、
国という集合体の経験値として
どちらも魂の成長だと思うから。


今の現代社会の現象は、さらに前の時代の『これが必要』があって、社会が変化し、作り上げてきた結果。

例えば、戦争に負けて貧しくて飢える人もいた時代というのは、国という集合体そのものが貧しかった時代。
さらには文盲の人たちも多くいた時代があった。

でもそこからこの国は脱却しようと頑張ってきた人たちがいて、いまの私達の豊かな時代が実現している。


食べ物すらろくにない国で、子どもたちが飢えている状態を助け、配布する食料にビタミンをまぜて配っていたら
子どもたちが遊ぶものを作れる知恵がまわるようになった、という話を聞いたことがあります。

日本での大きな災害がおこったときに、
この国では国が、国民が、自分たちの国民を助ける力を持っているから大丈夫、という話と同時に
むしろ本ひとつ学校に揃えられない国に本を寄付しよう、と設立されたルーム・トゥ・リードの話を読んだときに
なるほど、国の力というのは国民を助け教育を与えられる力があるかどうか、という視点で見ることができるんだ、と認識をあらためたこともあります。


私が幼い頃、母が川で洗濯している写真があります。
55~56年くらい前の写真かな。
まだ自宅に水道がなかった時代。

確か近所に一つだけ井戸があって、それも個人の敷地内だったけれど
ご近所さんみんなそこに水を汲みに行ってた、という光景を幼い頃に見ていました。

母はクチャという泥を使って髪を洗っていたけれど
下水道整備がされた後、
クチャを使うと下水が詰まると言われて使えなくなった、と嘆いていて。

その後、シャンプーを使うようになりました。



「あの頃はみんな貧しくて、みんな何も持っていなくてねぇ」
と、姑が戦後の思い出話を話してくれたことがあります。


戦中戦後の食べ物がなかった時代、なんの食べるものも手に入らなくて
毒のある蘇鉄しかなくて、それを食べて死んだ人も多かったんだよ、と
亡き叔父から聞いたこともあります。


そんなに昔の話しじゃない。


今の私達の自然環境が壊されて云々・・・と憤る前に
それだけ無茶にしなけりゃ生きてこれなかった時代があった、
そこを生き抜いてきた人たちが私たちの先祖であり豊かな社会を作る礎になってくれた方々であった、と想いを馳せて。

もう、その段階は過ぎたから。

豊かに生きられる社会を作ったから。

その次の、自然や生き物を大切にする、人権を大切にする、
人や命を、魂を尊重する社会を作り上げていく『次のステップに進む』を選択しよう。


否定じゃなくて、
この段階は終わった、と手放して、次に行く。

あの状態があったから、この部分に学べた、成長できた、と感謝して
心を卒業させる。


そういう風に、社会も、自分の人生も見ています。

ハート


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Posted by 町田律子(pyo) at 20:43│Comments(3)解放への道
この記事へのコメント
pyoさんの言葉に優しい気持ちになりました。ありがとうございますー(人*´∀`)。*゚+
Posted by CHIKAKO at 2020年09月16日 21:08
やらかしてしまったことに囚われず、「ま、いっか。次、次。」と口にすると、よく「開き直るな!」と怒られます。息子から。

開き直り、じゃないんだけどな、って、思うの。
負け惜しみでもなく、問題放棄でもなく、やっと私、楽観的になれたのよ。

pyoさんの「手放して、次へ行く」にとても共感します。
Posted by 福 at 2020年09月17日 00:05
○CHIKAKOさん
こちらこそ、コメントありがとうございます~。

○福さん
うんうん、一つ一つ人生経験でステップアップ。いいですね~♪
Posted by 町田律子(pyo)町田律子(pyo) at 2020年09月17日 00:36
迷惑コメントが入り始めたので「承認後受け付ける」にしています。すぐには表示されませんがお待ち下さい。
 
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