体感する話

町田律子(pyo)

2010年04月19日 14:15

スピリチュアルな感覚を磨きたい、高次の存在の声をききたい、おしゃべりしたい・・・
そんな話をよく聞きます。

むかし、ボーイスカウトのリーダー研修を受けるためにキャンプ生活を送った時にこんなことを感じて書いていました。
まだスピリチュアルなんて言葉が遠かった頃の事です。^^

自然も、人も

2001 11/26 by pyo


一週間、野営での研修を受けてきた。

森の中で、人の生活の影響をなるべく与えないキャンプを行う。
そしてスカウターとして、必要な事をたっぷり学び、話し合い、議論してきた。

草の上にどっかと座って、またはランタンの明かりの元、悩みを語り合い、仲間達と助け合って生活してきた。

朝と夕、ゾッとするような数のやぶ蚊が活発に活動していた。

蚊を掻き分けるように歩く。

野営場では侵入者はこちらのほうなので「通してください。」とお願いして通していただく、そんな気になるから不思議だ。


最終日にこんなお話をいただいた。

「森の中の植物は、ここに種を落とし、ここで育つ。あるものは1年でその命を終え、あるものは何百年と命を続ける。 でも変わらないものがある。植物は、命を得たその場所から逃げ出すことはできない。」

思いっきりグサッと突き刺さった。

わたしは、逃げ出すこと、避けることで解決したような気になってきた事項がかなりある。
でも結局根本解決にはならない。逃げ出すことは何の解決でもなかったのだ。

このお話をいただいた間、
「好きな方角を向いて自然を見なさい」
と言われたので日の昇る東の丘を見上げていた。


ふと、研修の為に大勢の人が集まって笑ったり泣いたりしているこの野営場が、誰もいなくなって、静かな地に戻る瞬間を思い描いた。


私にとっての大きな思いや悩み、喜び、苦しみは何てこの自然の中で小さなものなんだろう。
泣こうがわめこうが自然はただそこにいる。
批判も慰めもなく、ただそこに同じように存在する。

それって、人の集まりである町では「人」そのものが「自然」に置き換えできるんじゃないか?

自然は自然のままで、変えずにありのままでいてほしいと
願い、努力しながら自然と向き合っているつもりなのに

自然を人の集まり、社会に置き換えてみたら
なぜ「変わってくれないのか」と悩むのか。

なぜ自分の想いが伝わらない、理解してくれないと悩むのか。


自然は何も語り掛けない。

答えを頂戴と叫んでも、ただ同じように存在している。
時にはやさしく包んでくれ、時には脅威となる。

自然を理解し、自然をありのまま受け止めていこうとしているのに、
人が人として存在しているのを何故自分の都合のいいようになってくれないと悩むのか。


一週間の長期キャンプは、色んな事をわたしに教えてくれた。


さるかちゃーのリング 雑記帳-キャンプ考(源河野営場を想う)」 より




自然から学ぶことは、多くあります。
人の集まり、社会や文明という存在からも、学ぶことは多くあります。

それは、街だろうが田舎だろうが同じなんです。

その間に流れているものは、何でしょう?

自分を責めるものでしょうか?
自分自身に対して、門戸を閉じているものでしょうか?
そうではない、いつも愛で受け入れてくれる、甘やかしてくれるものでしょうか?


その答えは、それぞれの‘内’にあるはず。

私が9年前、自然の中で木々を見つめて感じたように、それを感じるのは己の心、内にあるものなんです。

人が感じたことを一生懸命追いかけても見つけることはできません。
感覚というのは、それぞれの持つもの。

だから、自分の感覚をみがき、感じる事。
自我の声との区別をつける鋭い感性を養う事。

そのために瞑想をする、
静かに自然を感じる。
または、周囲のエネルギーを感じる。


私にとって、最近は主人と犬猫たちとの生活や、ガーデニング、家事のこまごまとしたこと、家の前の歩道の掃除、
そんな日常が自然を感じるものになっています。


季節により風の向きが変わり、風の匂いで雨や嵐が近付くのを感じたり。
庭に咲いてくる雑草の様子で季節を読み取ったり。

空の雲の形が季節の影響を受ける事を感じたり。
土の状況、太陽の位置、月の形や位置すらも
日々の暮らしの中で感じていれば多くの感性を養ってくれます。


野鳥の声、季節に寄り種類が違ってくること。
飛びまわる野鳥の声は何を伝えてくれるのでしょう?
受け止めるのは私次第。


樹にふれて、目をつぶってみる。

樹のエネルギーをただ感じる。
老木ほど、多くの事を伝えてくれることがあります。

「もしかしたらこの木は子どもがすきだったのかもしれない。」
以前、むかし保育園だった場所にたっていたガジュマルの木に触れた時に感じた事です。

「もしかしたらこの木は怒ってるのかも。」
ある時、ペンキを根元に投げ捨てられて汚れていた木のそばを通った時に感じた事です。

その木にふれて
「ごめんね。私がしたわけじゃないけど、人がしたこと。だからごめんね。」
と伝えたら、すーっとその「怒り」のエネルギーが消えたのを感じました。

これはまだチャネリングもエンジェルリンクや伝授系のこと、何一つ取り組んでなかった頃のことです。



「それそれ!そんなのをやりたいのよー!」
と、勇者ひかりさんが新たに取り組むワークショップ「メルローザ」について語ってくれました。
「だから‘スピリチュアル’って枠でくくることないのよね!」

そう、‘感性磨き’、それなんだと思います。結局。

勇者ひかりさんのその思いのたけを入れてみた記事がUPされています。

=> はぁと*メロディ スピリチュアルというカテゴリーを超えて

参考にどうぞ。(^^)

関連記事