こんばんはpyoです。
そういや最近スピリチュアルなこと書いてない
ブログの「スピリチュアル」カテゴリ外したほうがいいですかね。(^^ゞ
先日「本当はいないでしょう」といった質問をうけました。
他のことやってる最中の雑談の中だったので、「いますよ」と返事で終わり。
でも実は、はてさて、どう説明したものか?と頭に浮かんだまま
「だって存在するんですから。」と、めちゃショートカットな言い方のワタシ。
ちゃんと説明することなく終わったのが私の中に残っちゃいました。
アウトプットしないと残るのよね~、こういうの。
なんだかリフレインしてる。
写真は記事とは関係なく
「ご飯ちょうだいにゃ」と足を揃えているハナにゃん。
神とかホトケとか幽霊とか...
「あなたは信じますか?」という問いかけは最近見かけない私ですが。
いやまぁ、信じる信じないのランクの話じゃないので
私の眼の前にアナタがいるくらいの確実さで「だって、居るんだし。」としか言えないんですが。
居ると言われても、そこでキョロキョロと周りを見回して「居ないよな」って思う人、ここではAさんとしてみましょう。
Aさんが周りを見回すとき・・・心のなかでイメージしている「姿」があるんじゃないでしょうか?
人の姿とか、絵に描いた幽霊の姿とか、
シーツ被ったような服装の神様とか、いやもしかしたら神様というと弥生時代の服装した人の姿とか。
はたまた、天使が居るというと、身長2mで大きな羽を背負って白いシーツを着た金髪の・・・?
または手のひらに乗るような赤ちゃん姿のキューピット?
幽霊だったら・・・最近は貞子じゃないよね、ゾンビ?アンデッド?
色のついた懐中電灯を顎の下から当てた乱れた長い髪の「うらめしや~」?
まぁとにかく、頭に浮かぶ「絵に描ける姿」「物理的な姿」を無意識にイメージしてませんか?
で「やっぱりいないよね」となる。
お賽銭をなげて
「神様にお願いしたから...云々」
というのもあるかなー?
私も以前、そういうイメージで追い求めていました。
そう思うと確かに「こういう姿の」「こういう行動して」とか、頭の中に映像が浮かんでいく感じがしてたので、瞑想しながら浮かんでくる情景を眺めていました。
が。
ホントはね、そういう「物理的な存在ではない」ので。
言い換えると、まぁ、煙とか・・・いや、煙はまだ物理的。
空気の中の伝播していく、それこそ「電波」とか「波動」とか。
そう、波動ってよく表現しますよね、スピリチュアルな世界では。
その「波動」つまり「波」「動き」そのものが「居る」存在なんです。
ある意味「意思が存在している」だけ。
その「意思の波」をキャッチはできるんだけど。
それを「物理的な画」に転換しないと、いまいち理解しずらい、解釈しづらいのが、物理的な存在である人間。
だから、「意思の波」「波動」にストーリー性を持たせて理解するんです。
人の形に転換したり、なんとなく羽があるようにイメージしたり、昔の絵師が描いた幽霊や物の怪の姿にイメージを変換したり。というのを無意識に一瞬でやるわけですが。
そうやって「認識する」んです。
だからその「認識がない」もしくは
「認識するのを否定する」と、
「見えない」となる。
別にね、認識しようが認識しまいが
人としての日常を送っていくのに、居ても居なくても
なんの問題もないわけで。
だから「信じないよ」という場合は、それでいいんです。
認識しなくてもなんの問題もない人には、「存在しない」という認識でなんの問題もない。だからそれでいい。
でも「実際、視えるし。そこに居るし。」
というほどの、映像化したり音として認識できる人にとっては
「存在するもの」なんです。
どちらにしろ、その存在は「波動」だからね。