2023年06月14日
虹つらつら
こんにちはpyoです。
雨です。
沖縄は梅雨の終わりの強い雨が降ってます。

これは先日の雨。
運転中にあまりに眠くなってきたので、公園の駐車場に飛び込んで一眠りしました。
だいたい15分くらい眠れば自然に目が覚めるので
よっしゃ、眠気は去ったぞさぁ公園から出て国道に戻ろう。
と、公園を出たそこで。

虹!それもダブルの虹!
(うっすらダブルです。)
振り向くと、美しい夕空。

アラハビーチ
車道に出て、渋滞に巻き込まれながら
ずっと虹が出てるのをちらちら見て、気持ちほっこりしました。

ふ、っと、昔かいた物語の一節を思い出しました。
母の初七日の日の大きな虹。うとぅ~しで手を合わせました。

雨です。
沖縄は梅雨の終わりの強い雨が降ってます。

これは先日の雨。
運転中にあまりに眠くなってきたので、公園の駐車場に飛び込んで一眠りしました。
だいたい15分くらい眠れば自然に目が覚めるので
よっしゃ、眠気は去ったぞさぁ公園から出て国道に戻ろう。
と、公園を出たそこで。

虹!それもダブルの虹!
(うっすらダブルです。)
振り向くと、美しい夕空。

アラハビーチ
車道に出て、渋滞に巻き込まれながら
ずっと虹が出てるのをちらちら見て、気持ちほっこりしました。

『すでに空は白み始めていた。
いきなり一筋の光が差し込んだと思うと、厚かった雨雲がいきなり割れ、朝の光が川の水を照らした。
「虹だ!」
誰かが朝日とは反対側をみながら、言った。
雲の切れ間に忽然と現れた虹は朝日の光を受けて二重に出現。
幻想的な心に残る風景を描き出していた。
「綺麗だなぁ…」誰かがそういい、そして由雄に話しかけた。「なぁ、よっちゃん…」
由雄は、こときれていた。』
ふ、っと、昔かいた物語の一節を思い出しました。
母の初七日の日の大きな虹。うとぅ~しで手を合わせました。


タグ :虹
2023年06月11日
できる自分に進む
おはようございますpyoです。
...
アクティベートってなんじゃらほい。
と、検索してみるとIT用語ばかりが出てしまうんですが。
「アクティブ(活動的な)」という単語が変化したものかな~って考えると繋がりますね。
活動的にする、活性化させる、この部分の機能が許可されて作動する・・・などなど。
つまり、必要ない部分をせっせと活性化させてしまって
結果、自分自身が動きとれなくなってはいない?
「これは、許されないよね?」
「これはダメだよね?」
え、それは本人がやると決断すればいいだけの事じゃない?
と、解放された思考からはそう思えることでも
解放されていない思考からは「絶対だめ」という反応が返ってくることがままあります。
ニュースで、『同性婚が認められていないのは違憲』という福岡地裁の判決が出たという情報を読みました。
うん、時代は変化してますね。
国のルール(法律)を変えてくれるようにとずっと動いてきた人たちがいて、みんなの認識がじわりと変わってきた結果、そのうち「当たり前にできる」用になることも多いかな~って思います。
むかし、沖縄が日本復帰を果たした時に
例えば「おきなわそば」が蕎麦粉を使わない麺(小麦粉なのでうどんやラーメンと同じ)だったため、「おきなわそば」という表現が許されなくなってしまうのを避けるために、陳情やら何やら・・・でルール(規定)の方を変えてもらった、と聞いたことがあります。
そうそう、沖縄の「島豆腐」も、日本の豆腐と作り方が違うので豆腐と認められなくなるところを、ルールを変えてもらった結果、今も沖縄で豆腐といえば濃厚な島豆腐なんですよねぇ。(私は島豆腐ファン)
単純な話、以前はこういうルールだった、というルールの
成立理由を確かめていくと、
「今もそのルールにしばられる必要はあるんだろうか?」
と、自分に問いかけることができると思うんですよ。
親の時代の「当たり前」と
今の時代の「当たり前」は変化している可能性が大きいです。
特に私の世代だと、親の世代は戦中世代ですからね~。
変化どころじゃない、大逆転しています。
(なにせ『鬼畜米英の教育受けた』世代でしたから。)
またインターネットがなかった時代と
インターネットがこれだけ手軽に広がった時代への変化を見てきた身としては。
とにかく情報量が違うんですよね。
その情報の中で気づくのは
『知らなかったから、これしかない、このルールしかないと想いこんでた。
このルールしかないと思うから、他の選択肢がないと思ってた。』
そして
『他の選択肢がないと思う(自分を縛っている)から
他の選択肢を選んで自由に生きる人が嫌いだったり憎んだりする』こともある、ということ。
そこで湧く怒りは、本来は自分自身が
自由になりたい!自由になれるんだよ!と
内側から呼びかけてるものだったりするんですよ。
誰かのせいじゃない。
自分自身の魂の叫びです、それ。

『バシャール:粘り強い想い
自分の居場所は自分です。自分が戻る場所も自分です。
貴方は『じぶん』に属しており、
『じぶん』に愛され、『じぶん』に悲しんだり腹を立てたりしています。
ですから、周囲の人たちは
貴方の『じぶん』を投影して見せてくれているに過ぎません。
周囲の人の言動や行動に一喜一憂する貴方は、
自分の中の『じぶん』に反応しているのであって、相手ではありません。
特に15秒以上続く粘り強い怒りは、
自分の中の『じぶん』を投影して腹を立てています。
繰り返しになりますが、
相手ではなく貴方の中の『必要ないじぶん』がアクティベートされています。
ここの部分に気が付けると、
自分に舞い戻って内観する事ができるようになります。
相手が見せる『じぶん』の投影を受け止め、
ここから教訓を学んで次へ進んでいく事ができるようになります。
誰かや何かに対して粘り強く怒っている事があるのであれば、
まずは自分の中の『必要ないじぶん』を探し当ててください。
相手を変える事はできません。
貴方自身がそういった周波数にアクティベートされない自分づくりを
していく必要があるのです。
新しい地球のスターシード達へ the PLANET from NEBULA』
宇宙からの呼びかけ Facebookページより
...

と、検索してみるとIT用語ばかりが出てしまうんですが。
「アクティブ(活動的な)」という単語が変化したものかな~って考えると繋がりますね。
活動的にする、活性化させる、この部分の機能が許可されて作動する・・・などなど。
『 貴方の中の『必要ないじぶん』がアクティベートされています。』
つまり、必要ない部分をせっせと活性化させてしまって
結果、自分自身が動きとれなくなってはいない?
「これは、許されないよね?」
「これはダメだよね?」
え、それは本人がやると決断すればいいだけの事じゃない?
と、解放された思考からはそう思えることでも
解放されていない思考からは「絶対だめ」という反応が返ってくることがままあります。
ニュースで、『同性婚が認められていないのは違憲』という福岡地裁の判決が出たという情報を読みました。
うん、時代は変化してますね。
国のルール(法律)を変えてくれるようにとずっと動いてきた人たちがいて、みんなの認識がじわりと変わってきた結果、そのうち「当たり前にできる」用になることも多いかな~って思います。
むかし、沖縄が日本復帰を果たした時に
例えば「おきなわそば」が蕎麦粉を使わない麺(小麦粉なのでうどんやラーメンと同じ)だったため、「おきなわそば」という表現が許されなくなってしまうのを避けるために、陳情やら何やら・・・でルール(規定)の方を変えてもらった、と聞いたことがあります。
そうそう、沖縄の「島豆腐」も、日本の豆腐と作り方が違うので豆腐と認められなくなるところを、ルールを変えてもらった結果、今も沖縄で豆腐といえば濃厚な島豆腐なんですよねぇ。(私は島豆腐ファン)
単純な話、以前はこういうルールだった、というルールの
成立理由を確かめていくと、
「今もそのルールにしばられる必要はあるんだろうか?」
と、自分に問いかけることができると思うんですよ。
親の時代の「当たり前」と
今の時代の「当たり前」は変化している可能性が大きいです。
特に私の世代だと、親の世代は戦中世代ですからね~。
変化どころじゃない、大逆転しています。
(なにせ『鬼畜米英の教育受けた』世代でしたから。)
またインターネットがなかった時代と
インターネットがこれだけ手軽に広がった時代への変化を見てきた身としては。
とにかく情報量が違うんですよね。
その情報の中で気づくのは
『知らなかったから、これしかない、このルールしかないと想いこんでた。
このルールしかないと思うから、他の選択肢がないと思ってた。』
そして
『他の選択肢がないと思う(自分を縛っている)から
他の選択肢を選んで自由に生きる人が嫌いだったり憎んだりする』こともある、ということ。
そこで湧く怒りは、本来は自分自身が
自由になりたい!自由になれるんだよ!と
内側から呼びかけてるものだったりするんですよ。
誰かのせいじゃない。
自分自身の魂の叫びです、それ。

上を見よ
下を見て出来る事から選ぶのではなく
上を見てなりたい自分を選べばいい
決めるのは己自身だ
人生の自由も責任も
己自身で持てばいい
下を見て出来る事から選ぶのではなく
上を見てなりたい自分を選べばいい
決めるのは己自身だ
人生の自由も責任も
己自身で持てばいい
2023年06月10日
乱気流通過中
『バシャール:自分だけが通れるパイプ
全てはバイブレーションでありエネルギーです。
思考も考えも、言葉も行動も、机も雲も動物も、全てがエネルギーでありバイブレーションです。
高いバイブレーション域には高いバージョンの思考や考え、言葉や行動、机や雲や動物が存在しています。
低いバイブレーション域には、低いバージョンの思考や考え..etc が存在しています。
そして現在の私たちは、これらの高低バイブレーションの間を通過中ですから、ちょうど飛行中に通過する乱気流の真っ只中という具合です。
乱気流を上手に通過するテクニックは無数にありますが、
その中でも特に大切なのが『自分の軸』を立てていくテクニックです。
『自分の軸』を立てていく事で、
乱気流に『自分が通れるパイプ』を創り出して
通り抜けて行く事が可能になるからです。
新しい地球のスターシード達へ the PLANET from NEBULA』
おはようございますpyoです。

なるほど私、乱気流の中を通過中なのね~。
と、納得しちゃった今日このごろです。
そして結構、すんなりと通ってる気がするんですよね。
揺さぶられずに、淡々と。
ただ、今、ものすごーくキャンプしたい。ソロキャンプしたい。
ソロキャンプして延々と焚き火したい。暑いけど。
あ、やっぱり揺さぶられてるわね。

そう思うってことは。
『自分が通れるパイプ』、通過できる道ってのが
私の場合は、アウトドアになるってことかなー。
てか、先日は時間がぎりぎりなのにカーブスとびこんで「一周だけ!」って身体うごかして来ました。
なんとなくまとまらなかった思考がすっきり消えてた♪

6月のセッションカレンダー、まだ入力してませんが
ご希望の方は構わずお問い合わせくださいね。
2023年06月02日
自分を縛るものの正体
こんにちはpyoです。
台風2号のおかげで、のんびり時間がとれました。
もっとも台風が通り過ぎるとあとは荒れた庭や歩道の掃除、
塩害対策の水かけ(これ大事!)などなど、やることいっぱいありますけどね~。

さて、Facebookを開いたら、過去のこの日の投稿というのが出てくるんですが
そこに3回くらいシェアを繰り返している記事がありました。
もしかしたらこのブログでも紹介してないかな?と思ったけど、意外や検索したら出てこなかったのでご紹介。
そういえば私が初めて「ボーイスカウトのリーダーになる」宣言をしたときに、実家の家族に猛反対されましたよ。
いまもう20年近くリーダーをやっていますが、いまだに叔母(母の妹)はキャンプ反対派です。
理由は「外はハブ(毒蛇)が出るでしょう」。
出ますけどね。
ヒメハブをキャンプ場で踏んづけかけたこともあるし。
スカウティングで学んだことは、できない理由を考えるのではなく
そうした危険やできない理由をきちんと理解した上で
どうやったらできるか
を考える、というものでした。
で、そこまで考えたくない人は、要するにやりたく無い人だ、ってだけのこと。
やりたく無いならやらなくてもいい、やりたい人はやってもいい、
という選択肢があることを受け入れれば
「私がやりたくないから、身内であるあなたもやるな」
という意味をこめた反応にはならないと思うんですよねぇ。
そういえば亡き伯母(母の姉、大正生まれ)はアウトドアが好きなお転婆娘だったらしく
キャンプ場に連れて行って、駐車場だけだったけど
テーブルだして簡単なおやつを作ってコーヒー淹れてピクニックを楽しんだら
ものすごく喜んでくれてました。
うん、姉妹だからって同じ考え方を持ってるわけじゃないですものね。
ブログ記事が長くなるけど、もう一つ。
ジェームス・スキナー氏の本から。
ちなみにこの本で、著者のジェームス・スキナー氏は日本人に対して
「畳の上で靴を履いて一週間生活してみる」案を提案しています。
絶対できない!!
と思うところが、ルールに縛られているんだそうな。
別に破ってもいいよ~というルールね。
そして、このルールを破っても人生に何も起こらない!とは、靴を履いて家の中で過ごして成長したアメリカ人だから断言できるそうです。(笑)
私の場合、やっぱり畳の上で靴というのはかなり心理的抵抗ありますが、やろうと思えばできます。
できるけどやらない、を選びますが・・・。
我が家の畳ボックスの上は、わんことにゃんこが相当汚してるから・・・うーん。


ルール破りな話をもう一つ。
パスタにさっとあえるだけのペペロンチーノのソースというのを手に入れたので、さっそく食べようと思ったんです。
が、買い置きのパスタ麺がない。
代わりに棚にあったのは乾麺のうどん。
それをゆでて野菜もちゃらっと炒めて、ペペロンチーノのソースで和えてみました。
夫はぎょっとした顔してましたが、私がキッチンで妙なのを作るのはもうほぼ日常なので、口はつぐんでくれました。
(お肉をいきなりルートビアで煮た人に常識ハズレ扱いはされたくない。)
多分、食べるかと聞いたら「絶対いやだ」と答えたかな~と思いつつ。。
一人分を作って一人で食べたら・・・。

めっちゃ美味しかったですー!!

あ、話がずれた。
もう一度、ジェームス・スキナー氏の本からの引用です。
子どもの頃に「世の中はこうである」とか
「家族とはこうである」「◯◯はこうである」
そして
「こうしちゃいけない」類の、明文化されずに学んでしまったルール。
それに縛られて自由に生きられない!と思うのなら
そのルールを破ってみても自分の人生は大丈夫かどうか、
自分で検討してみてもいいのではないでしょうか?
まずは破る前に検討。
そしてやってみて失敗してもいい、と受け入れる。
ええ、キッチンで「失敗した」と思いながら焦げたパンを食べた私のように。

失敗に負けずにやり続けたから、パンもピザも自分で好みのものを作れるようになったんですよん!


台風2号のおかげで、のんびり時間がとれました。
もっとも台風が通り過ぎるとあとは荒れた庭や歩道の掃除、
塩害対策の水かけ(これ大事!)などなど、やることいっぱいありますけどね~。
さて、Facebookを開いたら、過去のこの日の投稿というのが出てくるんですが
そこに3回くらいシェアを繰り返している記事がありました。
もしかしたらこのブログでも紹介してないかな?と思ったけど、意外や検索したら出てこなかったのでご紹介。
『僕が小学生の頃、潜水艦を作りたいと思ったら、
学校の先生から、
「そんなの、よほど頭が良くないと無理だよ。」
「すごくお金がかかるんだよ。」
と教えられました。
僕が中学生の頃、飛行機やロケットの仕事がしたいと思ったら、
学校の先生から、
「そんなの、よほど頭が良くないと無理だよ。」
「すごくお金がかかるんだよ。」
と教えられました。
僕が、大人になってから、微小重力実験施設を作りたいと思ったら、
銀行の人から、
「そんな難しいこと、できるんですか?」
「そんなの、すごくお金がかかりますよね。」
と言われました。
新型の電源内蔵型のマグネット装置を作ろうとしたら、
道の審査員の大学教授には、
「こんな難しいことは、トヨタのような、お金と人材の集まる大企業がやることであって、おたくのような小さい会社にできるわけがない。」と言われました。
とにかくずーっと、
「頭が良くないから無理」
「お金が無いから無理」
と教えられてきました。
では、いったい、どのくらい頭が良くて、どのくらいお金があれば、
なんでもできるようになるのでしょう?
実は、頭の良さは、成績や偏差値で数値化できて、比較しやすいです。
お金は、純粋に金額で数値化できて、比較しやすいです。
比較しやすいから、自分より上がいる事を明確に知ることができます。
だから、自分が劣っていることを明確に知ることができます。
だから、頭の良さや、お金は、「出来ない理由」として、とても明確になります。
ということで、何かをやろうとしたときに、
「知識」「学歴」や「お金」を理由として、できない、と教えてくれる人達は、
できる方法を考えているのではありません。
出来ない理由しか考えていない人達です。
でもこの、出来ない理由は、とても恐ろしいものです。
なぜなら、出来ない理由とは、実は、
「努力しても無駄だよ」という意味だからです。
もしも、努力が無駄だと思ってしまったら、
人間は、がんばれなくなります。
できることしかできなくなります。
考えたくなくなります。
そして、そんな自分の心を守るために、
悲しい「やらないいいわけ」をするようになります。
それが「どーせ・・・」「自分なんて・・・」「無理・・・」です。
そして、それを、ほかの人に対しても使うようになり、
やがて、出来ない理由は、連鎖増殖していきます。
いま、僕は、出来ない理由のパンデミックが起きてるように感じています。
自信を失う人がどんどん増えています。
でも、連鎖は断ち切れます。
出来ない理由に負けない人がいたら、そこで、鎖はバチッと切れます。
根拠の乏しい出来ない理由にまけないで、
出来る理由を考えるのです。
どうやったらできるのか、可能にする方法を考えるのです。
それをする人が増えたら、こんどは、出来る理由の連鎖が起きます。
どうか、出来ない理由に負けない人が増えますように。』
植松 努 Facebook 2016年5月31日 投稿記事より
そういえば私が初めて「ボーイスカウトのリーダーになる」宣言をしたときに、実家の家族に猛反対されましたよ。
いまもう20年近くリーダーをやっていますが、いまだに叔母(母の妹)はキャンプ反対派です。
理由は「外はハブ(毒蛇)が出るでしょう」。
出ますけどね。
ヒメハブをキャンプ場で踏んづけかけたこともあるし。
スカウティングで学んだことは、できない理由を考えるのではなく
そうした危険やできない理由をきちんと理解した上で
どうやったらできるか
を考える、というものでした。
で、そこまで考えたくない人は、要するにやりたく無い人だ、ってだけのこと。
やりたく無いならやらなくてもいい、やりたい人はやってもいい、
という選択肢があることを受け入れれば
「私がやりたくないから、身内であるあなたもやるな」
という意味をこめた反応にはならないと思うんですよねぇ。
そういえば亡き伯母(母の姉、大正生まれ)はアウトドアが好きなお転婆娘だったらしく
キャンプ場に連れて行って、駐車場だけだったけど
テーブルだして簡単なおやつを作ってコーヒー淹れてピクニックを楽しんだら
ものすごく喜んでくれてました。
うん、姉妹だからって同じ考え方を持ってるわけじゃないですものね。
ブログ記事が長くなるけど、もう一つ。
ジェームス・スキナー氏の本から。
『いつもセミナーを教えるとき、私は参加者に言う言葉がある。
「あなたの今の考え方に問題がある」
これは、誰も言われたくはないはずだ。ましてや、変な外人から言われたくはないだろう。
しかし、事実だ。
それは、どんなことかといえば、今の考え方で得られる結果は、今すでにえている結果しかないということである。
今の考え方とやり方で得られる結果は、今得ている結果しかない。
あなたの今の生活の結果(健康状態、お金、人間関係、時間のゆとりのすべて)が、今の考え方と今の行動の結果なのである。
しかし、少しでも、その考え方や行動パターンに合わないことをさせようとすれば、どれほどの抵抗心がわいてくることか。計り知れない。
昔からよく言われる。
「精神異常とは、同じことをやり続けて、違う結果を期待することである」
新しいことをやってみよう!
自由になれ!
・自分の今までの惰性にないことをひとつ計画して、実行してください。
・権威と呼ばれている人たちの考えと違うことをひとつ計画して、実行してください。
・あなたの今生活している文化(家族、学校、会社、宗教、国のいずれか)のルールをひとつ破る計画をして、実行してください。(実質的な害がないものを選ぶようにしましょう)』
『100% 全ての夢を叶えてくれる ・・・たったひとつの原則』 ジェームス・スキナー著 より

「畳の上で靴を履いて一週間生活してみる」案を提案しています。
絶対できない!!
と思うところが、ルールに縛られているんだそうな。
別に破ってもいいよ~というルールね。
そして、このルールを破っても人生に何も起こらない!とは、靴を履いて家の中で過ごして成長したアメリカ人だから断言できるそうです。(笑)
私の場合、やっぱり畳の上で靴というのはかなり心理的抵抗ありますが、やろうと思えばできます。
できるけどやらない、を選びますが・・・。
我が家の畳ボックスの上は、わんことにゃんこが相当汚してるから・・・うーん。
ルール破りな話をもう一つ。
パスタにさっとあえるだけのペペロンチーノのソースというのを手に入れたので、さっそく食べようと思ったんです。
が、買い置きのパスタ麺がない。
代わりに棚にあったのは乾麺のうどん。
それをゆでて野菜もちゃらっと炒めて、ペペロンチーノのソースで和えてみました。
夫はぎょっとした顔してましたが、私がキッチンで妙なのを作るのはもうほぼ日常なので、口はつぐんでくれました。
(お肉をいきなりルートビアで煮た人に常識ハズレ扱いはされたくない。)
多分、食べるかと聞いたら「絶対いやだ」と答えたかな~と思いつつ。。
一人分を作って一人で食べたら・・・。

めっちゃ美味しかったですー!!


あ、話がずれた。
もう一度、ジェームス・スキナー氏の本からの引用です。
『社会のルールを破ると、洗脳が解かれる。』
子どもの頃に「世の中はこうである」とか
「家族とはこうである」「◯◯はこうである」
そして
「こうしちゃいけない」類の、明文化されずに学んでしまったルール。
それに縛られて自由に生きられない!と思うのなら
そのルールを破ってみても自分の人生は大丈夫かどうか、
自分で検討してみてもいいのではないでしょうか?
まずは破る前に検討。
そしてやってみて失敗してもいい、と受け入れる。
ええ、キッチンで「失敗した」と思いながら焦げたパンを食べた私のように。

失敗に負けずにやり続けたから、パンもピザも自分で好みのものを作れるようになったんですよん!



2023年05月24日
『今ここを100%生きる』
『自分で創りあげたその一瞬一瞬を、充分にエンジョイしてください。
自分の存在を、あわてたり否定したりする必要はまったくありません。
意識の進化の中で、こうなりたいというところに急いで行く必要はないのです。
自分の現実を一番早く変えるためには、今あることを今学ぶのが一番早いのです。
意識の進化とは、実際には
今ここを100%生きるということなのです。
あなたの持っているすべての情熱と、すべての願望を、
しっかりと地に足をつけて、
確信をもって、そしてあなたの愛のすべてをもって、
自分の信頼のすべてをもって、肯定的な方に向けることです。
バシャール』
宇宙からの呼びかけ より

こんばんはpyoです。
個人セッションでお伝えした直後。
通話を切って、なんとなくFacebookをひらいたら
バシャールの言葉が出てきました。
内容がリンクしてる~。

ということで、早速up。

2023年05月05日
自ら考える力を持つ。ということ。
「...万象を知る神がいるのだから考えるのは任せて、その言葉に従えばいいと思わせている。...」
上橋 菜穂子. 香君 下 遥かな道 (文春e-book) (Kindle の位置No.4422-4423). 文藝春秋. Kindle 版.
こんにちはpyoです。
上橋 菜穂子著の新刊、「香君」読みましたー。
ちょっと私の中でクリティカルヒットした言葉、
下巻のもう物語のシメのあたりにありましたのでメモ兼ねてご紹介です。


ある日ね~、わたし思いました。
神さまは、何でも引き受ける何でも屋なんかじゃないっ!

って。
まぁ、そう思える事があったということなんですが。
そういえば地上にいる国津神たち、
特に神社に祀られてる「神々」が
大量の「願い」を前にかなり忙しく立ち働いてるのは知ってます。
実際、普天間女神に「なんだ、あなたたちなの」と
ばたばたと通り過ぎられてしまった・・・て事もありましたよ、はい。
ちゃんと本殿の前でお賽銭いれて手を合わせてたときにね。
神社が暇なシーズンオフには出ても来ない事よくあるくせに
忙しいときに行くとそれはそれで...ぶつぶつ。
ちなみに「神」というネーミング、いやさ役職名は人が付けたもので、本人もとい本神たちは自分たちが万象を司るものだとは思ってないですよん。
どちらかというと市民サービスに走り回る役所の担当者、って感じかな~。
彼らは確かに礼儀正しい人のほうが、そうでない人よりは応対しやすいようですが
礼儀(参拝手順)を知ってるかどうかはあまり関係ないようです。
人は「願」をかけたら、その願にみあった思考行動をするもので
その祈りにできるかぎりのサポートをしましょう・・・という程度で
神社にいる国津神ができるのはせいぜいその人の周りの厄っぽいエネルギーを祓う...つまりある程度の掃除、ですね。
因みにそんな、地上に居る国津神たちが人の厄ともいえるくろぐろとしたエネルギーの祓いをしたらどうなるかっていうと・・・。
「千と千尋の神隠し」の湯屋の状態を観るといいかも。
イメージつかみやすいです、あれ。

「... 大雨が降れば山が崩れ、人が死ぬかも しれない。しかし、雨がまったく降らなければ作物も草木も育たない。
適度であればいいと生き物は願っているのに、神々はこの世をそういうふうには創ってはおられない。
生き物の間柄もまた同じ。人によってはいて欲しくない虫も、その虫を食べて生きる鳥にとっては、いなくなれば困る食糧であり、鳥がいなければ虫は増えすぎて草木が困る。
香君が風に知る万象とはそういうもの--必ずしも人にとって利益ばかりではないものが満ちて、巡っているすべてのことである...」
上橋 菜穂子. 香君 下 遥かな道 (文春e-book) (Kindle の位置No.4204-4210). 文藝春秋. Kindle 版. より
まぁ、森羅万象ってそういう事なんですよ。
実際そこに人の言う「良い意味」も「悪い意味」もないんです。利益も損もないんです。
ただ、起きていることなんです。
そこに「良い悪い」の意味づけ、解釈や価値を付けてるのは、
人の都合です。
だから祈ったから、賛美したから、大金を払ったから・・・で
自分に都合よく神さまや森羅万象、自分の願いが全部叶うわけじゃない、わけです。
それも祈りの作法を守ったからとか
作法が間違ってたからとか
言葉の言い回しがあってるかどうか・・・関係ないです。
本当に腹の底から、言葉と祈る内容が一致しているかどうか、実現を信じているかどうかが肝心なんです。
その時に祈りの力が動きます。
叶える方法は、腹の底、魂の底から実現を信じて
自ら思考し行動を起こすこと、そしてその結果を受け入れること。
その結果から、さらに次の行動を起こし、次の結果を出す。
そうやって繰り返しの試行錯誤をしていくうちに
成長し、結果、実現化を引っ張ってくるんです。望みの実現化。
あ、ちなみにこれ「自分の望み」がベースであって
自分以外の人の望みがそれとイコールってわけじゃないですからね~。
特に共依存の人、ご注意を。
自分が頑張ることで、◯◯の望みを叶える!いうのは
それは共依存そのものです。
自分が思う結果に到達してないから、あいつはだめだ、
ダメだから、ちゃんとさせないといけない、という祈りは
それは欲望ですよね。祈りですらない。
「私、自分が知り得たことを、多くの人に伝えておきたいのです。
──みんなが自分で判断できるように。自分の行動が何に繫がり、どんな結果をもたらすのか、想像できるように」
上橋 菜穂子. 香君 下 遥かな道 (文春e-book) (Kindle の位置No.4414-4416). 文藝春秋. Kindle 版. より
冒頭を繰り返します。
> 万象を知る神がいるのだから考えるのは任せて、
> その言葉に従えばいいと思わせている
というのは、「自己判断」ではないですよねー。
自己判断せずにお任せで幸せになろうというのは
結局、何かに隷属している事になるんじゃないかな?

と、私は思います。
だとしたら、その隷属の世界から脱出するには
知識(情報含む)を得て、その情報を自分で判断できる、
行動できる能力を自分に許して開放することじゃないかしらん?と。
だからまず、スピリチュアルに依存するのも
危ないよーって思うんですよ。

タグ :解放への道
2023年04月21日
困難な人生の意味
こんばんはpyoです。
なんかもう、日々突っ走っております。
もうちょっと余裕ある日々をおくりたいな~と思いつつ
スキマ時間に読書してるし、いやさ家事しながらスマホで読み物読んでるし。
目と手が忙しいときにはAudibleで小説聴いてるか、
ネットでラジオ受信して英会話の講座相手にひとり喋ったりしてるし。
ネットにしろ、直接あってあれこれ一緒にやっている仕事・ボランティア関係・プライベート・・・
毎日いろんな人と会ったり話したり。
うん、そうですね、充実してる。
子供の頃・・・といっても思春期の頃からかな、「生きるのは戦いだ」と本気で思っていて。
そのうち、何と戦ってるのかわからない戦いの日々に疲れ果てて。
現実の日々が一息ついたら、身体のほうがsos状態になって、うがぁ~~~っとなりました。
んで、日々じたばたしながら生き抜いてるつもりが
あれ?気がついたら楽しい日々になってる。うん、なってる。
...
。
「だって。でも、過去は変えられないでしょう?」
ある日、たずねられました。
「変えられますよ。」と、私の返事。
過去の事実、つまり「起きたこと」は変わらなくても
その「起きたこと」には、そもそもどんな意味があるかというと?
無い。
全ては「空(くう)」です。
つまり、起きている事は現象であって、そこに何の意味(色)もついてないんです。
そこに人は「意味、解釈(色)」をつけます。
そして「こういう事なんだ」と、理論であれ感情であれ、いろんな意味をつけて自分の中に解釈として落とし込みます。
だから過去は。
個々人が意味をつけて「これが過去だ」と
自分の解釈をもって「過去の出来事」だと考えているんです。
だから、過去に対する「考え方」を変えれば、過去は変えられる。
同じように、未来も変えられます。
なぜなら未来はまだ来ていない「想定」に対してのラベル付け。
そう、未来も「解釈した」事でしかない。
実際にその未来が来たら?
それは「今」に変わります、その瞬間に。
そしてすぐその直後に「過去(記憶)」に変わります。容赦なく。
私達人間は常に「今」この一瞬にしか生きていません。
そして同時に「過去」と「未来」という、記憶と想定を抱えているんです。
「過去」は記憶と解釈から出来上がってるので
解釈を変えれば、過去は変わります。
そしてその解釈もね。
立ち位置を変えて見つめてみると、全く真逆の解釈もあり得るわけです。
人類普遍の「意味」なんて、多分、無いです。

詭弁ですか?
うん そう思うのも「解釈」のひとつ。
その解釈をする自由と権利は誰にでもあります。
だけど、そう思わない人もいるし、人それぞれ、違う解釈もある。
その人が生きている社会情勢によって口に出していいか悪いかが決められることも
それぞれの心の奥にあるそれぞれの解釈は、人によって違う、違って当たり前。
自分の心の奥にそっと存在している「自分なりの解釈」を
「他の人の解釈に合わせよう」とすると、
そこに生まれた齟齬・・・「差」が、自分の中の苦しみになったりします。
そう、私が若い頃「戦っていた」のは、
この、自分自身の魂と「教えられた解釈(=他者の考え)」との差でした。
ずっと自分の解釈が悪いと思って、押し込めようとか捨てようとかジタバタしてたんです。だから辛かった。
だからこそ、今は分かるんです。
自分を飾ることはない。
飾ることで隠すことはないんだよ、と。
自分の心をストレートに受け止めて、素の自分を受け入れると
す~っと自分が楽になるんですよ。
なんかもう、日々突っ走っております。

もうちょっと余裕ある日々をおくりたいな~と思いつつ
スキマ時間に読書してるし、いやさ家事しながらスマホで読み物読んでるし。
目と手が忙しいときにはAudibleで小説聴いてるか、
ネットでラジオ受信して英会話の講座相手にひとり喋ったりしてるし。
ネットにしろ、直接あってあれこれ一緒にやっている仕事・ボランティア関係・プライベート・・・
毎日いろんな人と会ったり話したり。
うん、そうですね、充実してる。
子供の頃・・・といっても思春期の頃からかな、「生きるのは戦いだ」と本気で思っていて。
そのうち、何と戦ってるのかわからない戦いの日々に疲れ果てて。
現実の日々が一息ついたら、身体のほうがsos状態になって、うがぁ~~~っとなりました。
んで、日々じたばたしながら生き抜いてるつもりが
あれ?気がついたら楽しい日々になってる。うん、なってる。

...

「だって。でも、過去は変えられないでしょう?」
ある日、たずねられました。
「変えられますよ。」と、私の返事。
過去の事実、つまり「起きたこと」は変わらなくても
その「起きたこと」には、そもそもどんな意味があるかというと?
無い。
全ては「空(くう)」です。
つまり、起きている事は現象であって、そこに何の意味(色)もついてないんです。
そこに人は「意味、解釈(色)」をつけます。
そして「こういう事なんだ」と、理論であれ感情であれ、いろんな意味をつけて自分の中に解釈として落とし込みます。
だから過去は。
個々人が意味をつけて「これが過去だ」と
自分の解釈をもって「過去の出来事」だと考えているんです。
だから、過去に対する「考え方」を変えれば、過去は変えられる。
同じように、未来も変えられます。
なぜなら未来はまだ来ていない「想定」に対してのラベル付け。
そう、未来も「解釈した」事でしかない。
実際にその未来が来たら?
それは「今」に変わります、その瞬間に。
そしてすぐその直後に「過去(記憶)」に変わります。容赦なく。
私達人間は常に「今」この一瞬にしか生きていません。
そして同時に「過去」と「未来」という、記憶と想定を抱えているんです。
「過去」は記憶と解釈から出来上がってるので
解釈を変えれば、過去は変わります。
そしてその解釈もね。
立ち位置を変えて見つめてみると、全く真逆の解釈もあり得るわけです。
人類普遍の「意味」なんて、多分、無いです。

詭弁ですか?
うん そう思うのも「解釈」のひとつ。
その解釈をする自由と権利は誰にでもあります。
だけど、そう思わない人もいるし、人それぞれ、違う解釈もある。
その人が生きている社会情勢によって口に出していいか悪いかが決められることも
それぞれの心の奥にあるそれぞれの解釈は、人によって違う、違って当たり前。
自分の心の奥にそっと存在している「自分なりの解釈」を
「他の人の解釈に合わせよう」とすると、
そこに生まれた齟齬・・・「差」が、自分の中の苦しみになったりします。
そう、私が若い頃「戦っていた」のは、
この、自分自身の魂と「教えられた解釈(=他者の考え)」との差でした。
ずっと自分の解釈が悪いと思って、押し込めようとか捨てようとかジタバタしてたんです。だから辛かった。
だからこそ、今は分かるんです。
自分を飾ることはない。
飾ることで隠すことはないんだよ、と。
自分の心をストレートに受け止めて、素の自分を受け入れると
す~っと自分が楽になるんですよ。
『バシャール:スターシードの導き
スターシードの皆さんは、人類の進化と成長に参加することを表明してやってきていることを知ってください。
つまり、自分たちの行動を通してよりポジティブな方向へと導いていくことを約束してやってきているのです。
ですから、幸せの意味を知るために幼少期に愛のない家庭を選んで生まれてきたりします。
自力で立ち上がる術を身につけ周囲を指導できるようになるために、あえて助けのない家庭を選んでやってきたりしています。
つまり、困難を乗り越えた自分が今度は周囲を導いていく存在になっていく。
そのための下準備として、困難な幼少期を選んでやってくる人が多いわけです。
でももちろんスターシードも地上に住む人間ですから、どんなに高い視点を持っていたとしてもコントラスト体験から逃れることはできません。
それでも、自分の中で浄化しきれていない周波数を手放す道を歩みながら、人より一足先に困難を潜り抜け、後に続く人たちが歩きやすいよう道を作ってあげて進んでいるのです。

2023年04月07日
「自分に起きる出来事は自分に責任がある」って話
おはようございますpyoです。

プラキャップに卵置いたらジャストフィットしました。
朝忙しいときにこういう発見はぷち嬉しい♪
自分に起きる出来事は自分に責任がある
と言う話をきいたときに混乱しました。
その後しばらく、あれも自分の責任?これも自分の責任?と
内心うろたえた事を覚えてます。
で、実はそうじゃないんですよね。
物事、起きること、起きたこと。
すべて「現象」であって、それぞれ良いも悪いも価値のありなしも、そもそも、無い。
ただそこに存在している事とか
ただそこに物理的な動きがあったとか
ただそこに化学的な変化があったとか
ただそこに心理学的な何かがあったとか。
それだけでしか、無い。
価値がないわけじゃなくて、
価値の有り無しもない。
良い悪いが無いというよりも
良い悪いという判断、ジャッジそのものが存在しない。
ただ、そう「在る」だけ。
ところがですね。
人って、見たこと、聞いたこと、自分の中に入ってきた「情報=事象」について
価値判断という処理をするわけですよ。
そう、情報処理にしかすぎないんですが
その時点で「価値」とか「良い悪い」とか
さらには感情的な意味とかとかとか。。。
いろんな事が人の中で「処理」されて、結果、意味があることになっちゃうんです。
プラキャップは、プラキャップです。
プラスチックの物体です。
その中で、例えばペットボトルの蓋としての役割、目的をもって製造されたもの。
それに偶然、卵を載せてみたら
卵が転がらずに済んだ。
ゴロンゴロンする卵に気を配らなくてもいいので、気持ちが楽。
だから、嬉しい。
はい、これは私の中の情報処理、感情処理。
人って「意味をつけると落ち着く」んですよねぇ~。

ええ、私が道向かいに咲いてるカランコエを見て「とうとう移住した!」という意味をつけたように。
いや、そもそも意味なんて無いですよ?
情報処理した結果、自分の中で「こうだ」という結論、つまり意味をつけた(定義つけた)わけです。
そうするとね。
エネルギー体の仕組みとして、
定義つけたようにエネルギーが動いていく、
という次の動きが発生するんです。
良いとか悪いとか、価値があるとか無いとか。
その「定義つけの結果」、それを証明する、
または後押しする出来事が次に動き出します。
人が「決めた」結果、次のエネルギーの動きが起こる。
現実化、ですね。
だから自分の周りに起きることは、自分が現実化させてる結果だったりするので、自分に責任がある。
というわけです。
追記。タイトル変えました。

プラキャップに卵置いたらジャストフィットしました。

朝忙しいときにこういう発見はぷち嬉しい♪
自分に起きる出来事は自分に責任がある
と言う話をきいたときに混乱しました。
その後しばらく、あれも自分の責任?これも自分の責任?と
内心うろたえた事を覚えてます。
で、実はそうじゃないんですよね。
物事、起きること、起きたこと。
すべて「現象」であって、それぞれ良いも悪いも価値のありなしも、そもそも、無い。
ただそこに存在している事とか
ただそこに物理的な動きがあったとか
ただそこに化学的な変化があったとか
ただそこに心理学的な何かがあったとか。
それだけでしか、無い。
価値がないわけじゃなくて、
価値の有り無しもない。
良い悪いが無いというよりも
良い悪いという判断、ジャッジそのものが存在しない。
ただ、そう「在る」だけ。
ところがですね。
人って、見たこと、聞いたこと、自分の中に入ってきた「情報=事象」について
価値判断という処理をするわけですよ。
そう、情報処理にしかすぎないんですが
その時点で「価値」とか「良い悪い」とか
さらには感情的な意味とかとかとか。。。
いろんな事が人の中で「処理」されて、結果、意味があることになっちゃうんです。
プラキャップは、プラキャップです。
プラスチックの物体です。
その中で、例えばペットボトルの蓋としての役割、目的をもって製造されたもの。
それに偶然、卵を載せてみたら
卵が転がらずに済んだ。
ゴロンゴロンする卵に気を配らなくてもいいので、気持ちが楽。
だから、嬉しい。
はい、これは私の中の情報処理、感情処理。
人って「意味をつけると落ち着く」んですよねぇ~。

ええ、私が道向かいに咲いてるカランコエを見て「とうとう移住した!」という意味をつけたように。
いや、そもそも意味なんて無いですよ?
情報処理した結果、自分の中で「こうだ」という結論、つまり意味をつけた(定義つけた)わけです。
そうするとね。
エネルギー体の仕組みとして、
定義つけたようにエネルギーが動いていく、
という次の動きが発生するんです。
良いとか悪いとか、価値があるとか無いとか。
その「定義つけの結果」、それを証明する、
または後押しする出来事が次に動き出します。
人が「決めた」結果、次のエネルギーの動きが起こる。
現実化、ですね。
だから自分の周りに起きることは、自分が現実化させてる結果だったりするので、自分に責任がある。
というわけです。
『バシャール:今の自分から
自分の人生を改善したいと願うのであれば、
まず自分自身を改善する必要があります。
貴方の人生は、自分の心の中身を映し出す鏡です。
自分が自分自身に対して笑顔になるから、薔薇色の人生がやってくる事ができるのです。
つまり、『こうあって欲しい』と願う周波数域では
喜びの人生がやってくることはできない事を意味しています。
なぜなら、貴方の心は『~があったら私は幸せになる』と言っているからです。
つまり、『今の私は幸せではありません。幸せになるために~をください』と宇宙に訴えているからです。
ですから、素敵な人生を送るには、まず満たされた自分になる必要があるわけです。
鏡に映る自分を笑顔にするには、
まず鏡を覗き込む自分が笑顔にならないといけません。
それと同じで、まず貴方が喜びの自分を先取りしていく必要があるのです。
新しい地球のスターシード達へ the PLANET from NEBULA』
追記。タイトル変えました。
2023年04月01日
祈り。ビジョン。
おはようございますpyoです。
数ヶ月前に書いてた記事、UPしますね。
久しぶりに祈りの最中に目にみえない存在と繋がりました。

地の存在。
沖縄で言う「拝所(ウガンジュ)」の神様、ですね。
ウガンジュそのものは「あそこにある」(かな?)
というのは何年も前に気づいていました。
キャンプ中に不思議な動きをする蜂がいたんです。
いかにも「偵察」「案内」「メッセンジャー」という感じで、時間を置いてやってきた蜂たち。
ああ、あっちの方角かな。
と、感じるエネルギーと蜂たちの動きが一致してたので見当はついてたんですが。。。
道なんて、ない。(ーー; 崖だし。
まわりまわって「道」と地図にのっているらしいのですが、現地に立つと、どこにそんな「路」が?
試してみた方々が「全く進めない。道なんて消えている」というほどの、要するに自然のままの亜熱帯の森の中。
というわけで、「まぁいいか。」と放ったらかしてた私。
その、気になる場所とは違うけど、影響あるかなー?という場所で
どうしても祈りをせざるをえなくなり。
じゃぁもう、こっちも祈っておくか!
といった、ついでな調子で祈ったことがあります。
ですが、中途半端だったですね、自分で振り返っても。
数年たったある日、全くスピリチュアルな事など話したことのない年配の方が、いきなり話し始めました。
「あそこの方に、かなり高い(沖縄の神のランク)神さまがおられるんだ。あんたなんか分かるはずがないほど高いんだよ。」
。。。?
いつも穏やかな方が強い調子で話していたのが気にかかりました。
それでも現地にいたわけじゃないので、先延ばしにして、また、忘れてました。

ある日、琉球の神々に祈る方の隣で、一緒に手をあわせる事がありました。
何かを始める時にその地の神々に挨拶する、
琉球の婦人がする祈り。
現代でもきちんとその祈りをする人たちはいっぱいいます。
が。
実を言うと、私はいまはこの手の祈りをあまりやっていません。
琉球神界というより、日本神界の存在につながることが多いので(それ以上に天使界とも繋がりやすい)、うーん、沖縄のうがんは私には違うかも?と、なんとなく保留のようにしていたんです。
すると
「何か感じるところが別にあるのなら、一緒に祈りましょう」
と誘われました。
そこで川を挟んだあっち側の・・・と説明して、一緒に行っていただきました。
以前から気になっていた箇所。
うん、この崖。
登れないわけじゃないけど、登るよりこっちで祈る「うとぅ~し」の祈りで大丈夫じゃないかなぁ。
どっちが祈る?
という会話になりましたが、
「同じ敷地だから、違う神さまを喚んでも仕方ないから」
と、祈っていただきました。
準備して、その方が祈っている声を横で聞きながら
手を合わせて目をつぶっていると。。。
古い拝所がビジョンで浮かんできました。
ああ、古い石組み。
もしかしたらもうガジュマルの根っこに絡まれて、誰にも分からないようになってるかもしれない。
だけど、大きなエネルギーがある。
うん、方角は間違ってない。
そして...
あれ?ちらりと視えたのは、角髪を結った日本神界の神さま?
が、この男神はすぐに場をどきました。
なんとなく、私に繋ぐために出てきたかな、という感じで。
すると拝所の存在からエネルギーが来ました。
『寂しかった。』
『祈りが心地よい』
『迎えてくれるなら、この子たちを送り出しましょう。』
拝所の存在は、女性神?ん~ ぬーる神かな?巫女っぽい?
この子たち、と示されて出てきた存在たちは、うっすら黒い透明な人影、3体。ああ、死霊だわ。でももう消えそうだけど。
『預かっていた』と、事情はよく分からないけど伝わってきました。
と、なると。(・・ゞ
私が喚ばれてたのはこのためかぁ~。
大天使アズラエル、よろしくお願いします。
(ー人ー)
声を出さずに祈ると、すっと大天使アズラエル配下の天使が現れてす~っと死霊たちは消えていきました。うん、上がった。
その後で、視えたビジョンを説明しようとしたら
私の声が震えて、涙が出てきました。
これは、どっちの涙だろう?
なんだかね、すっきりしました。
最近スピリチュアルとは遠ざかってバタバタしてたので。
どうも自分の「意識」が表層の意識ばかりになってる気がしてたんだけど、どうやらビンゴだったようで。
真摯な祈りのエネルギーというのは、繋がりやすくて心地よいです。
そして、やっぱりヒジュルーウコーより、お線香は火を点けたほうが繋がりやすいなぁ。。。
数ヶ月前に書いてた記事、UPしますね。
久しぶりに祈りの最中に目にみえない存在と繋がりました。

地の存在。
沖縄で言う「拝所(ウガンジュ)」の神様、ですね。
ウガンジュそのものは「あそこにある」(かな?)
というのは何年も前に気づいていました。
キャンプ中に不思議な動きをする蜂がいたんです。
いかにも「偵察」「案内」「メッセンジャー」という感じで、時間を置いてやってきた蜂たち。
ああ、あっちの方角かな。
と、感じるエネルギーと蜂たちの動きが一致してたので見当はついてたんですが。。。
道なんて、ない。(ーー; 崖だし。
まわりまわって「道」と地図にのっているらしいのですが、現地に立つと、どこにそんな「路」が?
試してみた方々が「全く進めない。道なんて消えている」というほどの、要するに自然のままの亜熱帯の森の中。
というわけで、「まぁいいか。」と放ったらかしてた私。
その、気になる場所とは違うけど、影響あるかなー?という場所で
どうしても祈りをせざるをえなくなり。
じゃぁもう、こっちも祈っておくか!
といった、ついでな調子で祈ったことがあります。
ですが、中途半端だったですね、自分で振り返っても。
数年たったある日、全くスピリチュアルな事など話したことのない年配の方が、いきなり話し始めました。
「あそこの方に、かなり高い(沖縄の神のランク)神さまがおられるんだ。あんたなんか分かるはずがないほど高いんだよ。」
。。。?
いつも穏やかな方が強い調子で話していたのが気にかかりました。
それでも現地にいたわけじゃないので、先延ばしにして、また、忘れてました。

ある日、琉球の神々に祈る方の隣で、一緒に手をあわせる事がありました。
何かを始める時にその地の神々に挨拶する、
琉球の婦人がする祈り。
現代でもきちんとその祈りをする人たちはいっぱいいます。
が。
実を言うと、私はいまはこの手の祈りをあまりやっていません。
琉球神界というより、日本神界の存在につながることが多いので(それ以上に天使界とも繋がりやすい)、うーん、沖縄のうがんは私には違うかも?と、なんとなく保留のようにしていたんです。
すると
「何か感じるところが別にあるのなら、一緒に祈りましょう」
と誘われました。
そこで川を挟んだあっち側の・・・と説明して、一緒に行っていただきました。
以前から気になっていた箇所。
うん、この崖。
登れないわけじゃないけど、登るよりこっちで祈る「うとぅ~し」の祈りで大丈夫じゃないかなぁ。
どっちが祈る?
という会話になりましたが、
「同じ敷地だから、違う神さまを喚んでも仕方ないから」
と、祈っていただきました。
準備して、その方が祈っている声を横で聞きながら
手を合わせて目をつぶっていると。。。
古い拝所がビジョンで浮かんできました。
ああ、古い石組み。
もしかしたらもうガジュマルの根っこに絡まれて、誰にも分からないようになってるかもしれない。
だけど、大きなエネルギーがある。
うん、方角は間違ってない。
そして...
あれ?ちらりと視えたのは、角髪を結った日本神界の神さま?
が、この男神はすぐに場をどきました。
なんとなく、私に繋ぐために出てきたかな、という感じで。
すると拝所の存在からエネルギーが来ました。
『寂しかった。』
『祈りが心地よい』
『迎えてくれるなら、この子たちを送り出しましょう。』
拝所の存在は、女性神?ん~ ぬーる神かな?巫女っぽい?
この子たち、と示されて出てきた存在たちは、うっすら黒い透明な人影、3体。ああ、死霊だわ。でももう消えそうだけど。
『預かっていた』と、事情はよく分からないけど伝わってきました。
と、なると。(・・ゞ
私が喚ばれてたのはこのためかぁ~。
大天使アズラエル、よろしくお願いします。
(ー人ー)
声を出さずに祈ると、すっと大天使アズラエル配下の天使が現れてす~っと死霊たちは消えていきました。うん、上がった。
その後で、視えたビジョンを説明しようとしたら
私の声が震えて、涙が出てきました。
これは、どっちの涙だろう?
なんだかね、すっきりしました。
最近スピリチュアルとは遠ざかってバタバタしてたので。
どうも自分の「意識」が表層の意識ばかりになってる気がしてたんだけど、どうやらビンゴだったようで。
真摯な祈りのエネルギーというのは、繋がりやすくて心地よいです。
そして、やっぱりヒジュルーウコーより、お線香は火を点けたほうが繋がりやすいなぁ。。。
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