2021年10月29日
時空間と次元と魂の話
こんにちはpyoです。
『時空間』というのが『情報認識のひとつの方法』…って書くと、意味不明な難しい感じになっちゃいますね。
書いてる私も、こういう小難しい言葉で表現されると
「なにそれ、難しすぎるわ」
って、すぐ思考停止するはず、うん。
何度行っても癒やされる空間
って、明日また行くけど。この写真は先週末撮ってきました。
まず、『時空間』をばらばらに分けてみましょう。
時空間=時間+空間
これら、時間と空間って、人が認識してるもの…つまり
「こういうものがあるよね」って表現してお互いが分かり合う合図に便利なので、使っているものです。
例えば「今日」と「明日」という認識があれば
「明日会おうね」
っていう予定の打ち合わせに便利でしょ?
それをさらに
「明日、日の出の頃に」とか「太陽が一番高い時に」という
タイミングを合わせるために、できたのが「時間」という概念。
わかるでしょうか。
時間って、宇宙で絶対的に存在しているものでは「ない」のです。
逆にいうと、時間をベースに認識している
「過去の出来事」と
「今起きてること」と
「未来に起きるかもしれないこと」
というのは、それ、認識していること、解釈しているだけの事、なんです。
ただ人類社会が共通概念として持っているから、
ん~っと、あなたも私も、外国人も同じ考え方で「わかっている」から、
お互い考えが明確に通じて便利、なんですね。
時間と関係する「暦(こよみ)」を考えてみると分かりやすいかしらん?
例えば、今日は 令和3年10月29日 であり、同時に
2021年10月29日である。
令和というのは日本独自の暦の分け方ですよね。
そして 2021年というのは、グレゴリオ暦。
これはローマ教皇グレゴリオリウス13世が制定した暦だそうで
その考えをベースに世界中が暦を同じくしたので、日本も取り入れて現在に至るわけで。
グレゴリオ暦で2021年、というのは、頭に ACが付くわけです。
AC2021、 AC=アフターキリスト。
キリストが生まれてから2021年目。
実際にはずれてるらしいですが。
それに旧暦とか、ルナ暦とか、マヤ暦とか・・・・。
なんか話がマニアックな方向に進みそうなので、詳しく知りたい方は検索してみてくださいな、いっぱい知識が増えて楽しいですよ。(^^)b
「俺はキリスト教徒じゃない!神様なんて信じない!」
という力説している方も、今年が2021年と言ってる時点で、キリスト教の影響を受けてるわけです。そういうもんです、文明って。
話を戻すと、グレゴリオ暦は太陽暦らしいんですが、実際には少しずつ積み上げてズレが発生するので
1年を365日とする年と、366日とする年があるわけですよね。
ほら、暦があとから付け足しであって、
宇宙の絶対的なものじゃない、ってわかるでしょ?
同じように、「1日」というものをさらに幾つかに等分して
何時、という考え方を当てはめて理解しているのが「時間」。
つまり、「時間」も「認識のひとつ」なんです。
説明面倒になってきたので、ウィキペディア「時間」にリンクはっときますね。
そこにちゃんと「概念である」と書いてあります。
ちなみに空間も、概念である・・・これ私は感覚的に理解したので
小難しい研究した方々のお話しは、やっぱりウィキペディア「空間」にリンクしておきますね。
えーっと、なぜこんな小難しい話をつらつら書いているかと言うと
すっごく久しぶりに「宇宙のどこそこで生まれたので、帰りたいとずっと感じてきた」というお話しを聞いたからです。
そういや私自身もずーっとそう思ってましたよ~。
生きづらさを感じて、自分は地球人じゃないんだとか、地上から逃げたいとかつらつらと。
ええ、過去生探っていったら地球人じゃなかったよ、の結論に至りましたが。。。
とりあえず、今の肉体は地球生まれです。
物理的な肉体を持っていると、
この「時間と空間の移動」という面倒な重い状態を突破しないと
魂は故郷に帰れない、って思い込んじゃうんですよねぇ。
で、地上に縛り付けられてるんだ~って思っちゃう。
ところがですね。
無になる深い瞑想していると、この、面倒で、重くて、動きがとれないと感じている「時間」も「空間」も、あっさりと消えて、世界中のどこだろうと、宇宙の遥か向こうだろうと、全く関係なく、瞬時に、移動できるんですよ。
で、それは、理解せず慣れてないと
「いま、夢想に浸ってた」的に解釈しがちです。
いや、実際、夢想というよりも
頭の中に溜め込んだ情報(読んだ漫画とか、アニメ、ドラマや映画とかの影響など)をもとに
そこに当てはめちゃって想像を楽しんでるだけ、という場合もあるでしょうが
実際に両方体験してみるとわかります、
明らかに違いがありますから。
瞑想でのトリップは、深く眠ったような感じがします。
だけど周囲の音は聞こえてるし
外で風が吹いてたら、それも感覚的に受け取ってます。
そして浮かんでくる、視えてくるビジョンは勝手に動きます。
自分でストーリーをイメージするのとはまるで違うんです。
何より、心の中の満足感や安心感は段違いです。
夢想するのは集中するので、音とか感覚はわからないことが多いです。
そしてどんなに楽しいビジョンだろうと
心の奥底のどこかで「違う、想像してるだけ」といった感じが残っています。
どちらかというと、現実逃避じゃないか、みたいな感じがつきまとうんですよ。
だから心の中の満足感…これはもしかしたらストーリー的に面白くて満足するかもしれませんが
深い安心感とは違う、表面的な満足感なんです。
ところで本質の魂というのはこうした「空間」的なところには存在していません。
だから空間という概念の上に存在している「宇宙」には、いません。
そもそも、次元が違うんですよ。
次元という感じで説明すると・・・そうですね、例えば
目の前に、白紙を1枚、おいてみてください。
そしてその白紙の上に、点、またはマル「●」を2箇所、つけてみてください。
白紙1枚というのは「面」です。
面は、2次元です。
点は、1次元です。
1次元の存在である「・(点)」を、ずずず~っと移動させていくと、2つの点は重ねることができるでしょう。
1次元の存在は、2次元の上を移動していけるんです。
でも2次元である面の中に、『上』という概念が存在しません。
例えば、その紙の上20cmくらいのところに、手のひらを持ってきてみるといいでしょう。
(別に20cmでなくてもいいです、面より上の空間という意味です)
紙の上に存在している一次元の「・」は、
紙の上の空間、つまり3次元的な位置にある手のひらを
認識できません。
これが、次元が違う、ってことです。
魂とか、宇宙の絶対的存在とか、なんだか大いなる存在とか・・・って
いまいちみんなの中に「なんだか、あるんだよね」ってイメージだけはありながら
それが何だか分からない。
というものが、私たちが認識できている次元の外に存在しています。
つまり、この3次元を全てとして認識しているだけでは
存在しないよね~ってものが、次元の外にあるんです。
魂の故郷ってのも、ほんとはそこにあります。
私としては分かりやすい概念として、
「データサーバー(=本質の魂があるところ)」
と
「端末(=私たちの肉体と表層の魂があるところ)」
って説明してますけどね。
んで、その本質の魂があるところ、そこにコンタクトする方法が『瞑想』です。
深く、深く、自分の中に入っていくのが「道」です。
自分の外を求めたり、自分の外の神様、誰か祈ってくれる人、etc...
を求めても、ある意味、修練としてはいいかもしれませんが
最終的には、自分の内に自分で入っていくしかありません。
つらつら~っと思いつくまま書いてたら、瞑想でコンタクトという話になっちゃいました。
参考になる方いらっしゃいましたら、どうぞ~。
『時空間』というのが『情報認識のひとつの方法』…って書くと、意味不明な難しい感じになっちゃいますね。
書いてる私も、こういう小難しい言葉で表現されると
「なにそれ、難しすぎるわ」
って、すぐ思考停止するはず、うん。
何度行っても癒やされる空間
って、明日また行くけど。この写真は先週末撮ってきました。
まず、『時空間』をばらばらに分けてみましょう。
時空間=時間+空間
これら、時間と空間って、人が認識してるもの…つまり
「こういうものがあるよね」って表現してお互いが分かり合う合図に便利なので、使っているものです。
例えば「今日」と「明日」という認識があれば
「明日会おうね」
っていう予定の打ち合わせに便利でしょ?
それをさらに
「明日、日の出の頃に」とか「太陽が一番高い時に」という
タイミングを合わせるために、できたのが「時間」という概念。
わかるでしょうか。
時間って、宇宙で絶対的に存在しているものでは「ない」のです。
逆にいうと、時間をベースに認識している
「過去の出来事」と
「今起きてること」と
「未来に起きるかもしれないこと」
というのは、それ、認識していること、解釈しているだけの事、なんです。
ただ人類社会が共通概念として持っているから、
ん~っと、あなたも私も、外国人も同じ考え方で「わかっている」から、
お互い考えが明確に通じて便利、なんですね。
時間と関係する「暦(こよみ)」を考えてみると分かりやすいかしらん?
例えば、今日は 令和3年10月29日 であり、同時に
2021年10月29日である。
令和というのは日本独自の暦の分け方ですよね。
そして 2021年というのは、グレゴリオ暦。
これはローマ教皇グレゴリオリウス13世が制定した暦だそうで
その考えをベースに世界中が暦を同じくしたので、日本も取り入れて現在に至るわけで。
グレゴリオ暦で2021年、というのは、頭に ACが付くわけです。
AC2021、 AC=アフターキリスト。
キリストが生まれてから2021年目。
実際にはずれてるらしいですが。
それに旧暦とか、ルナ暦とか、マヤ暦とか・・・・。
なんか話がマニアックな方向に進みそうなので、詳しく知りたい方は検索してみてくださいな、いっぱい知識が増えて楽しいですよ。(^^)b
「俺はキリスト教徒じゃない!神様なんて信じない!」
という力説している方も、今年が2021年と言ってる時点で、キリスト教の影響を受けてるわけです。そういうもんです、文明って。
話を戻すと、グレゴリオ暦は太陽暦らしいんですが、実際には少しずつ積み上げてズレが発生するので
1年を365日とする年と、366日とする年があるわけですよね。
ほら、暦があとから付け足しであって、
宇宙の絶対的なものじゃない、ってわかるでしょ?
同じように、「1日」というものをさらに幾つかに等分して
何時、という考え方を当てはめて理解しているのが「時間」。
つまり、「時間」も「認識のひとつ」なんです。
説明面倒になってきたので、ウィキペディア「時間」にリンクはっときますね。
そこにちゃんと「概念である」と書いてあります。
ちなみに空間も、概念である・・・これ私は感覚的に理解したので
小難しい研究した方々のお話しは、やっぱりウィキペディア「空間」にリンクしておきますね。
えーっと、なぜこんな小難しい話をつらつら書いているかと言うと
すっごく久しぶりに「宇宙のどこそこで生まれたので、帰りたいとずっと感じてきた」というお話しを聞いたからです。
そういや私自身もずーっとそう思ってましたよ~。
生きづらさを感じて、自分は地球人じゃないんだとか、地上から逃げたいとかつらつらと。
ええ、過去生探っていったら地球人じゃなかったよ、の結論に至りましたが。。。
とりあえず、今の肉体は地球生まれです。
物理的な肉体を持っていると、
この「時間と空間の移動」という面倒な重い状態を突破しないと
魂は故郷に帰れない、って思い込んじゃうんですよねぇ。
で、地上に縛り付けられてるんだ~って思っちゃう。
ところがですね。
無になる深い瞑想していると、この、面倒で、重くて、動きがとれないと感じている「時間」も「空間」も、あっさりと消えて、世界中のどこだろうと、宇宙の遥か向こうだろうと、全く関係なく、瞬時に、移動できるんですよ。
で、それは、理解せず慣れてないと
「いま、夢想に浸ってた」的に解釈しがちです。
いや、実際、夢想というよりも
頭の中に溜め込んだ情報(読んだ漫画とか、アニメ、ドラマや映画とかの影響など)をもとに
そこに当てはめちゃって想像を楽しんでるだけ、という場合もあるでしょうが
実際に両方体験してみるとわかります、
明らかに違いがありますから。
瞑想でのトリップは、深く眠ったような感じがします。
だけど周囲の音は聞こえてるし
外で風が吹いてたら、それも感覚的に受け取ってます。
そして浮かんでくる、視えてくるビジョンは勝手に動きます。
自分でストーリーをイメージするのとはまるで違うんです。
何より、心の中の満足感や安心感は段違いです。
夢想するのは集中するので、音とか感覚はわからないことが多いです。
そしてどんなに楽しいビジョンだろうと
心の奥底のどこかで「違う、想像してるだけ」といった感じが残っています。
どちらかというと、現実逃避じゃないか、みたいな感じがつきまとうんですよ。
だから心の中の満足感…これはもしかしたらストーリー的に面白くて満足するかもしれませんが
深い安心感とは違う、表面的な満足感なんです。
ところで本質の魂というのはこうした「空間」的なところには存在していません。
だから空間という概念の上に存在している「宇宙」には、いません。
そもそも、次元が違うんですよ。
次元という感じで説明すると・・・そうですね、例えば
目の前に、白紙を1枚、おいてみてください。
そしてその白紙の上に、点、またはマル「●」を2箇所、つけてみてください。
白紙1枚というのは「面」です。
面は、2次元です。
点は、1次元です。
1次元の存在である「・(点)」を、ずずず~っと移動させていくと、2つの点は重ねることができるでしょう。
1次元の存在は、2次元の上を移動していけるんです。
でも2次元である面の中に、『上』という概念が存在しません。
例えば、その紙の上20cmくらいのところに、手のひらを持ってきてみるといいでしょう。
(別に20cmでなくてもいいです、面より上の空間という意味です)
紙の上に存在している一次元の「・」は、
紙の上の空間、つまり3次元的な位置にある手のひらを
認識できません。
これが、次元が違う、ってことです。
魂とか、宇宙の絶対的存在とか、なんだか大いなる存在とか・・・って
いまいちみんなの中に「なんだか、あるんだよね」ってイメージだけはありながら
それが何だか分からない。
というものが、私たちが認識できている次元の外に存在しています。
つまり、この3次元を全てとして認識しているだけでは
存在しないよね~ってものが、次元の外にあるんです。
魂の故郷ってのも、ほんとはそこにあります。
私としては分かりやすい概念として、
「データサーバー(=本質の魂があるところ)」
と
「端末(=私たちの肉体と表層の魂があるところ)」
って説明してますけどね。
んで、その本質の魂があるところ、そこにコンタクトする方法が『瞑想』です。
深く、深く、自分の中に入っていくのが「道」です。
自分の外を求めたり、自分の外の神様、誰か祈ってくれる人、etc...
を求めても、ある意味、修練としてはいいかもしれませんが
最終的には、自分の内に自分で入っていくしかありません。
つらつら~っと思いつくまま書いてたら、瞑想でコンタクトという話になっちゃいました。
参考になる方いらっしゃいましたら、どうぞ~。
迷惑コメントが入り始めたので「承認後受け付ける」にしています。すぐには表示されませんがお待ち下さい。