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2013年02月09日

愛と感謝って鞭付きだった?

おはようございます、pyoです。
今日はちょっと過激なタイトルつけちゃいました~。

愛と感謝って鞭付きだった?


よく「感謝」という言葉を聞きます。
それも「しなきゃね」とか「有り難いねぇ」という表現で。

ここで強い違和感を感じる私。
ねぇ、感謝って、「しなきゃならない」事だった?

「しなきゃならない」=義務 に持ってきた時点で、
意味が違ってきていない?


深~~い瞑想に入っていった時に、境界線が消えたことがあります。

この時にその深い世界からうわーっと押し寄せてきたのは
底なしの「喜び」。

わ~い♪ って喜ぶのとは全く違う。

喜び、嬉しさ、感謝、愛、誇らしさ、寿ぎ…全部同じものだぁ~~~
ん~この喜びをどう表現したらいいのだろう~ハート

ん?これどこかで聞いたフレーズだな・・・

 ♪今日の誇らしゃや なほにぎやなたてる
 ♪蕾で居る花の 露きやたごと


かぎやで風(かじゃでふう)だわ。(^o^ゞ わはは


閑話休題。

さてこの「喜び」の「感謝」をですね。
どうして「しなきゃならない」ということになるんでしょう?

ここで感じたのは「日本語って重い」という感覚的なものでした。

例えばホ・オポノポノで有名な4つの言葉の組み合わせ。
 ごめんなさい  許してください  愛しています ありがとう

・・・重いよな、っと、初めてこの組み合わせを見た時に思ったんです。
こんな重い言葉でクリアリングってホントにできるんかい?


同じように重いよなと感じたのはボーイスカウトの「誓い」。
これ、「誓いだと重いから、ちかひにする」といった方がいたとかなんとか。(うろ覚え)

私は、名誉にかけて、次の3条の実行を誓います。
1.神(仏)と国とに誠を尽くしおきてを守ります。
1.いつも、他の人々をたすけます。
1.からだを強くし、心をすこやかに、徳を養います。


これね~、もともとのエピソードがあるんですよ。
「スカウティング・フォア・ボーイズ」という本に「騎士道精神」についてこの話が書かれています。そこから来てるんです。

そこに、なぜ誓いと掟があるのかも説明されています。
青少年向けに自分を律する指針だよと示されたものなんですよ。

だから自主的に誓うように、ということを言われています。
が、なんだかこれが縛りになってるな…と感じて「誓を捨てる!」と叫んだことがある私。
その途端にぎゅ~~っと縛っていたものがするりと解けて体感で楽になったことがあります。


私以前書いた事あるんですよね。
どの言葉だろうと、どんな単語だろうと、
それって「ただのドットの集まりよ」ってね。(^^)

感覚的な意味付、感情をその単語にくっつけているのは
人それぞれの感情エネルギーのなすわざ。

「誓い」を「縛り」にしてたのは、私自身の解釈、捉え方によるもの。
ホ・オポノポノの言葉を罰則のようにとらえてしまったのも、私自身の解釈、捉え方によるもの。

じゃ、この「言葉の重さ」と感じるのはどこから来てるんだろう?

ヒントは、これらの言葉を英語で見た時に来ました。
英語だと感覚的な意味付けを行ってないんですね~。^^

Scout Oath

On my honor I will do my best
To do my duty to God and my country
and to obey the Scout Law;
To help other people at all times;
To keep myself physically strong,
mentally awake, and morally straight.


ん? do my best ?! ベストを尽くす?それでいいの?それだけ?
って。^^

その「自己のベスト」の質を高めるために自助努力するよ~というのが「からだを強くし、心をすこやかに、徳を養います。」なんですね。

これは産業革命当時のイギリスで、赴任先の外国から帰ってきた退役軍人が
子どもたちの荒れようを見て騎士道精神を自分で養えばいいんだよ、と伝える本を出版したのが始まり。

当時の子供達が興味を持つような「キャンプ物語」という形でさまざまな場面の例が入っています。
子どもたちの「ごっこ遊び」を利用したような部分もかなりあるんです。
子供心をわかっている方が書かれたものなんですね。

そう思うと、「誓い」は決して「縛り」じゃない。


そういえば「頑張れという言葉が嫌い」という記事を目にしました。
頑張っている人に頑張れという言葉は禁句、というのは有名な話ですよね。

でも「頑張れよ~」という言葉を発信する側にとってはどうでしょう?

「応援してるよ」という気持ちを表す表現として使ってるんじゃないだろうか?
本人が頑張るしかない場面では、気持ちの応援しか出来ないから。

んじゃ、この言葉を言い換えてみたらどうかしらん?

応援しているとき。その気持はどんな気持ちだろう?
なんだか力強い、うれしさが入り混じったパワーあるエネルギーですよね。
「頑張れ~~~\(^o^)/」って感じの。そう、笑顔がある。

課題をクリアーした人の笑顔が嬉しい。
うん、「あなたの笑顔が私の嬉しさにつながってるから、応援したい気持ちを伝えるね」
…長いかしらね?^^


さて、ホ・オポノポノの言葉。
これも以前書いたことあるんですが、ライトさんの個別記事の下の方に英語でちょろっと入っているので気づいたんです。
I'm Sorry Please forgive me I love you Thank you ☆ホ オポノポノより☆


…日本語と違って、全然無理がない。すんなり入ってくる。
これなら確かにクリアリングできそう。

なぜかな~っと考えたら、アメリカ人の友人の顔がぽっと浮かびました。

ああ、感情をとても豊かに表現するんだ。
自分の感情を豊かに表現することに躊躇がないんだ。

てことは、自分の感情を否定してないんだ。
喜怒哀楽を否定してないんだ。
自己否定してないんだ。


あれ?
喜怒哀楽を、否定してたんか私?

…してたんですね~。(^。^)
何にしろ「自分が悪い」思考に、随分長いことつかまっていた私がいました。(過去形)

さて「言葉」「表現」って時にどこで違ってきたのかをちょっと内観してみたらば・・・。

「ありがとうっていいなさい!!!ムカッ
「感謝するんだよ!!!ムカッ
「感謝が足りない!!!ムカッ
「許してもらいなさい!!!ムカッ
「愛があればこうするでしょ!!!ムカッ

あ~・・・これって・・・の場面だ。タラ~
だから英語が楽なんだ…。
英語教育の場面とか映画とかで取り込んだから
笑顔の方が多いもの。。。


つまり、日本語で豊かな感情を表すはずの言葉は
躾という名目で鞭打つような感情エネルギーとともに私の内面に取り込んだので
厳しくしかめっ面して語る言葉、になっちゃったんですね~。ギザギザ

こりゃ自分の内面から沸き起こるありがたさや感謝、赦しというのはついてこないですよねぇ。
鞭がいっしょについてきますねぇ

愛については「執着」「共依存」を愛と勘違いしている、ということもよくありますね。
その原因を見ていくと「分離感」が出てくる・・・これは話が長くなりすぎるので横に置いといて。


理解したところでその言葉の意味以外の感情エネルギーを手放し。クリアリング。キラキラ 


愛、感謝、祈り、寿ぎ、喜び、誇らしさ、応援…
なんの境界もない次元まで深めてみると、
これらのエネルギーに違いは全くありません。

自分の中で喜びの表現は喜びとして子どもたちに教えて行きたい。
喜ぶエネルギーとともに。

その為には自分の中の理解と表現力を養うのがいいかな。
喜びを自分に許可していいんだ、と感じることも大事。

躾は身を美しくするもので、罰を与えるものではないんです。ね。^^
ハート



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Posted by 町田律子(pyo) at 07:00│Comments(2)解放への道個人セッションBS
この記事へのコメント
 こんにちは、pyoさん

 いつもありがとうございます。そうなんですよね。こくこくとうなづく自分がいます。(笑)

 しみじみと最近よく気づきます。言葉の力を考えると英語のほうがストンと意味が理解できるんですよね。それだけじゃなくて、儒教かぁ…とか考えていたら、それだけじゃないなぁといろいろと俯瞰して思うようになりました。^^
Posted by 花水木 at 2013年02月15日 16:12
●花水木さん
儒教もそうだし、日本語のもっと深い意味を
感覚で理解した気になっていた「誤解語」が原因の事もありますね。
そういえば花水木さんは表現が以前に比べて段違いに柔らかくなりましたね。
(^^)v
Posted by pyopyo at 2013年02月17日 15:49
迷惑コメントが入り始めたので「承認後受け付ける」にしています。すぐには表示されませんがお待ち下さい。
 
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