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2013年06月15日

物語「ある夏の日」

スピリチュアル小説番外編「ある夏の日」


暑い、夏の日だった。
蝉が間断なくなきつづけ、気が狂いそうほど耳に入り込んでくる。
勝平は、いらいらと目に落ちてくる汗をごしごしと汚れた袖で拭きとった。

足元の伸びきった草は湿っている気がするが、空を見上げると陽射しは強く木々の影も濃い。
小さな羽虫が襟と首の隙間に入り込み時折ちくりと刺してくる気がする。
無意識に手でそれを払うと、刺された箇所をこれまた無意識にポリポリと掻いた。

人の声は、しない。
だがもしかしたら蝉の声にかき消されているのかもと思う。
鳥の声、キツツキが木を突く音さえ誰かがこっそりと鳥の真似をしているのではないかと気が焦る。

入り込んだヤンバルの濃い植物相の間には人の姿より毒蛇の方が多い気がするが、人は隠れているだけかもしれない。
どちらにしろ、この敵味方入り乱れた森の中で出会って有り難いものではない。

すでに友軍の8割は敵の手にかかり、逃げ延びたのは勝平ともう一人、10歳以上も年の離れた若い兵士の二人だけだった。

どこに逃げればいいのか。
いつまで逃げればいいのか。

草を手で倒しながら進もうとすると、あっさりと手の皮膚が切れた。
勝平は恐怖といらつきで、若者を怒鳴りつけたくなった。

鉄砲の弾の残りはあまり無いのだ。
無くなれば、腰に付けた短剣で戦うしかない。


どの道、どこにも逃げようが無いのだ。
この島にいる限り、地の果てまで歩いて辿り着いたとしても、その先に故郷への道はない。

本土を守るために送られたこの島で、朽ち果てるまで戦い続けることこそが日本男児たる者の使命、誉(ほまれ)なのだと勝平は教えられてきたし、そう信じてきた。

だがこの気持はどうだろう。
情けない事に、勝平は“ガイジン”を初めて見た時に怖いと感じた。
そう、感じた己が口惜しい。

体格の大きな黒人兵だった。
真っ黒な顔に真っ黒な手をして、目の白い部分と歯はやけに白かった。
闇の中から巨人の妖怪が現れたのかと思ったほどだ。

その黒人兵が、銃を構えて何か英語で叫ばなければ本気でそう信じたのかもしれない。
だが考えるより前にお互いの間で銃撃戦が始まり、幸い勝平は敵を倒して逃げ延びることが出来た。

あいつの血は、赤かった。
あんなに黒い肌なのに、血は赤いのか。
勝平は不思議に感じた。

いや、赤い血どころか血が通っている事も不思議と感じていたのかもしれない。
敵に血が流れている事が、勝平には何かとても非現実的な出来事のように、感じられた。


物語「ある夏の日」


苗子は、必死だった。
必死に食べ物を探し、山の中を歩き回っていた。

親に売られるようにして後妻に入った家では、夫はすぐに戦争に行き音信が途絶えた。
姑は口うるさく辛く苗子にあたる。
何しろ夫の子どもと甥や姪、姑にとっては孫にあたる子どもたちが7人もいるのだ。

戦争が始まってすぐに苗子が産んだ子は8番目にあたるが、生まれてひと月も立たないうちに死んでしまった。
赤ん坊が生き残るには島の生活は貧しく苦しく、それに戦争がこの島に惨劇といえるほどの状態を呼び込んでいる。

若い嫁である苗子は普通の若い女だった。特に勉強が好きだったわけでもない。
女は文字だけ読めればいいと言われ、尋常小学校すらもまともに通えずに苗子は弟や妹たちの世話をして育った。実家も貧しかった。

ある日、口減らしよろしく嫁に出された。
それ以来、村でも有名なほど口うるさく愚痴の多い姑の元で朝から晩まで働き続けている。


そんな貧しい家庭の粗末な畑を、ある日やってきた友軍は奪いとってしまった。

育った作物は全て供出させられ、畑は軍靴で踏み潰されて、家は敵に使われるかもしれないからと追いだされ火をつけられた。

一家はガマ(洞窟)に逃げたが、そこもまた同じように家を追われた人々でいっぱいだった。
「夜になったら食べ物を探しに行く」
と誰かが話していたが、苗子はすぐに食べ物を探すといってガマから飛び出した。

小うるさい姑と一緒にいるより、山の中で食べ物を探すほうがどれだけマシかと感じる。
苗子は誰もいない森の中でこっそりと、だがのびのびと深呼吸をした。


ふと空を見上げた苗子は、とても美しく棲んだ青空を見て、すこし恨めしく思った。
雨は降りそうにない。喉が乾いて水がほしかった。

そこから目線をさげて目を疑った。
パパイヤだ。1個、野生の青パパイヤが奇跡的に残っている。

苗子はパパイヤの木に飛びつくようにして残った1個をもぎ取った。
天の助けだと思う。
嬉しくて仕方ない。

これを持って帰れば、姑の表情も少しは和らぐかもしれない。
きっとほめてもらえる。
苗子は嬉しくて顔がほころぶのを感じた。


「おい。」
声をかけられ、苗子はぎくりとして振り返った。恐ろしさに縮み上がる。

日本兵だ!

二人の日本兵が銃を構えて、ゆっくりと近づいてきた。
苗子は命が震え上がるのを感じながら、手にしたパパイヤを抱きしめた。

物語「ある夏の日」


「英太、いいか。おじーと一緒にいれ。お前は嫡子だからな。」
「うん。」

英太は6歳だった。
おじーは英太の母親と、幼い弟妹たちを母親の元に残して英太の手を取りヤンバルに逃げてきた。

英太が生まれ育った村は激しい戦闘の餌食となり、今はもう家族が生きてるのか死んでいるのかさえも、判らない。
だが6歳の英太にはその事すら知らされていなかった。

祖父は長男の英太だけは連れて逃げることが出来たが、
さらに幼い子どもたちまで連れていく余裕はないと英太の母親に話していた。

母親は幼い子どもたちを抱え、他の女達と一緒に友軍を頼って南に逃げることにした。
祖父は英太をつれて、ヤンバルの山の中をさまよう道を選んだ。

「日本兵はならんどー。信用ならん。」
おじーは嫁に話したが、嫁はおじーと違って日本語が話せるので大丈夫だと答えた。

おじーは日本語が話せない。ウチナーグチが唯一の言語だ。
そのためにウチナーグチを話すものをスパイとして扱う日本兵たちを友軍だとして信頼はしていなかった。

この戦争がどっちに転ぶかは判らない。
だが北と南に逃げれば、家族のどちらかは生き延びられるかもしれない。
おじーはそう言って家族と別れ幼い英太を連れてヤンバルに向かった。

そんな事は、まだ6歳の英太には判らなかった。
ただ、戦争のまっただ中にいること、英太は今はおじーと一緒にいるんだ、ということしか判らなかった。

おじーはヤンバルの山の中をよく知っていた。

山の中を西海岸から北東に向かって突き抜けていけば、いずれ東村に出る。
そこにはおじーの知り合いが住んでいる。
おじーはそこに行くと英太に話した。


いきなり、木々が開けて空が見えるところに出た。
立ち止まったおじーにぶつかりそうになり、英太はびっくりして祖父を見上げた。
「おじー・・・?」「しっ!」

おじーは手で英太に合図し、草の陰に伏せて隠れるようにと指示をした。
英太はこれまで何度かオジーに同じ指示を受けたことがあり、すでに敵軍をそうやってやり過ごした事があるので静かに従った。

「目をつぶっておれ。何も見るなよ。」
おじーに言われて、英太は目をぎゅっとつぶった。
見たら何か目が潰れることがあるのかと、思う。怖かった。


おじーがそっと離れた。
英太は不安になったが、それでも目をつぶってじっとしていた。



 ぎゃっ

と、声が聞こえた気がした。
目を開けそうになったが、それでも英太はおじーとの約束を守って目をぎゅっとつぶった。

音がする。
ガチャガチャという音や、人と人とが取っ組み合っている音。
英太はそれでも我慢して目をつぶり続けた。


が。
一瞬だけ、目を開けてその光景を見た。
あまりの恐ろしさに目をぎゅっとつぶり、英太は震えた。





 …おじーが…日本兵と戦ってる…
 …おじー…殺されるかもしれない…





英太は目をつぶっていることも怖くなり、ふたたび目を開いた。
握っていた草の隙間から、その光景が再び、見えた。


音のない戦闘は終わっていた。
おじーは空手の達人だ。負けるわけがない。

「大丈夫ねー。あんた、ひどい目にあったねぇ。」
おじーの声に顔をあげると、若い女性が着物を慌てて直しながら立ち上がったところだった。

ぶるぶると震えている。
震えたまま、女はおじーから顔を背けた。

しかしいきなり地面に這うようにして何かを探し、やがて目的のものを見つけたようだった。
女は少し躊躇したように、倒れた日本兵の下からパパイヤを取り出した。
まるで赤ん坊を抱くかのように、そのパパイヤを大事そうに抱きしめる。


「女と見ればやー、見境なくやるからよー。
 どっちが鬼畜やわからんさー。日本兵がよ。」
おじーは憎々しげに倒れた二人の日本兵をにらみつけると、ふと、孫のほうを向いた。
そして少し慌てた様子でいった。

「あい、英太。見たか。」
英太はうなずくと、ゆっくりと立ち上がった。

「おじーはよー、守ったわけさー。可哀想によー、敵に攻められて友軍にこんな目にあわされて、哀れするさーやー。」
祖父は女に目を移すと、続けて話しかけた。
「だぁ、あんた家はどこねー?送っていくさ。」

「家は…燃やされて…ガマに逃げて…食べ物…探しに…」
女は途切れ途切れに話しながら、消え入りそうな様子を見せた。

祖父は英太を連れてこの女、苗子が避難しているというガマに寄っていく事にした。
いずれにしても今夜の寝場所を確保しなければならない。


一緒に歩き出す時、英太は祖父に手を引かれながら後ろを振り返った。
おじーの鎌で事切れた日本兵たちは、一人は持ち物に名前が書いてあったという。
だが英太が見たのは、その日本兵たちの流した血の生々しさだった。

 …おじーが…へいたいさん殺した…
 
 …おじーが…へいたいさん殺した…

 …おじーが…へいたいさん殺した…


英太の頭の中で、ただそれだけがグルグルと回り始めた時、いきなり祖父は立ち止まってしゃがみ、英太の両肩に手を置くと、英太の目を見つめて、言った。

「英太。いいか。今日見たこと、おじーがやったことや、日本兵がいた事は、誰にも言うなよ。」
祖父の目はとても厳しい目だった。

英太は震え上がった。
こんなに怖い祖父を見るのは初めてだ。


英太は、こくんと肯いた。
祖父はもう一度英太にはっきりと沈黙を誓わせると、やっと立ち上がって歩き出した。


英太は、今まで信じてきた祖父の姿がまるで別人のように感じられた。
その想いが恐ろしくて、首を横にふる。



ガマが近づいた時、いきなり女が走りだした。
そこは崖の上だ。

「えー!危ない!」
祖父の止めを聞かず、女は自ら崖の向こうに身を投げてしまった。

それは、あっという間の出来事だった。
駆け寄って見下ろすと、崖の下に血にまみれた女の死体が横たわっている。

黒い堅いごつごつした岩の上に横たわる、若い女の姿と、血と、そして祖父との約束が6歳の英太少年の心に深く刻み込まれた。
崖の上には残されたパパイヤが、転がっていた。





物語「ある夏の日」


「…ってなビジョンが視えたんですけど、本当にあったかどうかはわかりませんよ~。
 ただ、あなたの中に居た女性の幽霊は確かに戦前の方ですね~。
 生まれる前からあなたと居た、というよりもお父さんとの関係だったかもですね。」

と、これはある日のセラピーセッションでpyoが話した事でした。

「父がですか?」

「うーん、そうですね~。お父さんが戦争中5~6歳だったというのなら、どうしようもない出来事に対して口を閉ざさざるを得なくて、つまり戦争中に何か体験したんでしょうね。
 それを一生涯の秘密としているから、インチャは解放されないし苦しいし…で、いま、ご家族ともコミュニケーションがとれないし奥さんとも会話がそんなに無くて、友人も殆ど居なくて一人で畑やるのが幸せなんて状況なのではないでしょうか?」

「納得です~!!!」

ご相談にいらしたテーマは全く違うお話しだったのですが
女性の幽霊を背負ってらしたので、その方面のクリアリングからする事になりました。

その時に出てきたのが、家族の葛藤。

特に頑固で心の交流を誰ともしようとしないお父さんとの問題が浮上してきたのですが、
70代になるお父さんが抱えてきたのは「一生涯誰にも語れない秘密」だと浮かび上がって来たのです。

それはそれは、辛い事だったでしょう。

その場に起きた出来事を理解していたとしても辛かったはずが、
6歳ではどれだけ大人の事を理解出来ていたのか。

見た光景を語らなければおとなになってからも理解することが出来ず、ずっと苦しさを抱えたままになってしまう。
だから今そんな生活を送られているのではないでしょうか。

そう理解したところでくだんの幽霊を解放するためのワークを行ったのですが・・・。


幽霊が追加情報を置いて行きました。
「あの日本兵たちが持っていた食料と水が欲しくて。私が…誘ったんです。交換条件として。」

女を襲ったのは力づくだったわけではなく、ましてや若い兵隊はただ見張りをさせられていただけ。
女のほうは兎に角飢えていて、日本兵が持つ米と水筒の水が何より欲しかっただけ。

しかし助けられて我に返った女性は、己のせいで死んだ兵士たちへのすまなさと、助けてくれたおじーの誠意に己を恥じて身を投げたのだと語ってくれました。



「ということなんですが、誰からクリアリングします?」
「日本兵から、お願いします。」

どちらも戦争の犠牲者。
兵隊としてこの島にやってきた彼らも、ただ赤紙で招集され、国のための捨石とされたこの島に捨て置かれた不幸な青年たちでした。

一人の魂は福島の田舎に飛んでゆきました。
農家の大きな家が実家とのこと。
名前は、この話を物語としてまとめるためにpyoがつけた仮名です。


もう一人の魂は名古屋に飛んで行きました。
とてもごちゃごちゃした下町の長屋の風景。
その家は火事で失われ、たった一人の家族だった母を失い、実家を持たぬ身で沖縄に来たとのこと。

愛知の海に出たかった。
子どものころ死んだ親父の漁を継ぎたかった。

若い日本兵の魂はそう語り、太陽の光が反射する沖縄の海とは違う輝きの海に飛び出して行きました。

遺され供養してくれる人もいない魂のために、祈りました。


そして、女性の魂を。
彼女はとても美しい海と空との間の光の中に、迎えに来た龍神と共に去って行きました。



さてそれからさらに2時間、トータルで結構長時間のセッションになりました。
いただいたご感想です。

『昨日は、長時間のセッションになってしまい、本当にありがとうございました。

 …の事で伺ったはずなのに…
 全く想像もしていなかった父の戦時中の話から、突然の涙…
 気づくと、自分の事がメインになっているような…

 終わってみると、今日は私の為のセッションだったのかな~と、不思議な感じがしました。

 長い間、悩んでいた「私は何がしたいのか?」の答えの導き方を教えて頂けた事や、
 TCカラーセラピーでは、自覚の無い心の深い部分のメッセージを
 受け取る事ができるんだなーと、改めて感じました。

 自分の考えや、ありのままの気持ちを書き出し、
 整理しながら前進していきたいと思います(*^^*)


 最後に、pyoさんのセッションを受けさせて頂いたのは2度目でしたが、
 スピ系だけのお話ではなく、実生活に(現実的な)添ったアドバイスを頂ける
 という安心感も改めて感じました。

 いろいろと、ありがとうございましたm(__)m』



ありがとうございました。(^人^)
ハート



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Posted by 町田律子(pyo) at 07:00│Comments(7)解放への道個人セッション
この記事へのコメント
「彼女はとても美しい海と空との間の光の中に、迎えに来た龍神と共に去って行きました」
ここを読んだら、突然、身体の中からビリビリきて鳥肌になりました。あぁビックリしました!初めての感覚何回拝読してもビリビリ。
お話に感動したからかな?

相談者さんもお父様も、ほかの方々も、どんなに、お辛かった事でしょう。
お迎えも…帰れて良かったですねぇ。
Posted by ピア at 2013年06月15日 11:38
少し前にエネルギーの件で質問をさせていただきましたQmiです。
最新記事までたどり着きました…(*^_^*)嬉しい…♪

戦争の話、特に女性が犯されたこと理不尽な扱いを受けてきたことを見聞きすると胸の下がぐわっと煮えるような思いをします。
たぶん、自分もやったりやられたりをしてきたのでしょうね、前世で。
以前はこの手の話を読むとどうしようもなく悔しさや悲しさやるせなさが込み上がってきたのですが、今は大丈夫です。

前にpyoさんの記事で、昔の神々(名前忘れました…(汗))で、奥様が汚され地獄であらぬ姿になってしまい、それを見た旦那様が恐れおののいて逃げてしまうというお話で、そんな神々の時代から女性には試練?カルマ?ができた、というような…ごめんなさい、なんかお話が違うかもしれませんが、その記事を読んだ時にすーっと、何かが消えて許された感じがしました。
そうか、私は悪くなかったんだ。許されていいんだ。世の女性みんなで背負っているものなんだと。

なんというか、今までやるせない気持ちでいた理不尽な女性への扱いも受け止められるようになった感じです。解放されたというのかな?女性だから出来ることなんだなって。


今回の記事でも、浄化されないままの魂は本当にまだまだ多くあるんだなと思いました。たくさんの魂が許され解放されていきますように。
今回ご相談された方とpyoさんがされたように…☆彡
Posted by Qmi at 2013年06月15日 11:44
はじめまして。
偶然見かけた記事ですが、最近の新聞報道にあった「戦争体験者のPTSD」を連想しました。
戦時中のつらい体験を、誰にもしゃべらず(しゃべれず)長年抱え込むというのは、ずっと苦痛を背負っている、という感じがします。
生きているうちに癒されることはあるのでしょうか…。
Posted by 瀬長修瀬長修 at 2013年06月15日 13:59
こんばんは。
pyoさん、先日はお世話になりました。
物語として改めて読んでみると、また胸に込み上げるものがありました。

戦争の事(傷痕)。。
家族愛。。
今回、気付かせて貰えた事を、私の出来る範囲から行動していこうと思います。
父のことを、初めて愛おしいと感じています(^^)

ありがとうございました。
Posted by ゆうはる at 2013年06月15日 19:58
●ピアさん
おお、ビリビリ反応しましたか。
気の反応がいいですね。


●Qmiさん
その神話は日本の島そのものを造ったとされる、イザナギ神・イザナミ神のお話しです。
そうですね、女性のカルマは本当に古いです。
そして戦争もそうですね。

●長瀬修さん
いらっしゃいませ。

ニュースありましたね~。
「沖縄戦を体験した高齢者 4割PTSD」
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-06-14_50440

生きておられる内に癒す方法、実施出来たらいいですね。
実は口をつぐむよりも、話すこと、向き合うこと、語ることが癒す方法につながります。

そして今はもう戦時中ではないと認識することなのですが
頭の上を戦闘機が飛び交う日々ではそれも難しい、というニュースでしたね。


●ゆうはるさん
長時間セッションおつかれさまでした。
そしてブログシェアについてのご快諾、ありがとうございました。

お父様、ぜひお話しをしてもらえるような関係を築かれてくださいね。
Posted by 町田律子(pyo)町田律子(pyo) at 2013年06月16日 00:43
なんかむちゃくちゃ入り込んで読んでしまって…涙ウルウルです(T-T)それぞれの事情、気持ちを思ってたら入り込みすぎたかも(汗)

今こうやって、それぞれの魂がなんとかなって良かったです…。亡くなった人の気持ちや事情を伝えてくれるpyoさん、相談してくれたゆうはるさんありがとう〜

お父様の気持ちが和らぎますように…。
Posted by ちょこ at 2013年06月24日 15:38
◯ちょこさん
お~、亡くなった方の人生に入り過ぎないでくださいね。
この物語のテーマはそこだけじゃないんですよ~。

自分とは違う時代を生きてきたご両親の抱えたものに気付く、理解するということ。
そこに気付くことで自分の癒しにもなる、
自分が理解できずにじたばたしてたことへの回答が
時代への理解にあるというのも
ポイントだよ、ってことです。
Posted by 町田律子(pyo)町田律子(pyo) at 2013年06月24日 23:26
迷惑コメントが入り始めたので「承認後受け付ける」にしています。すぐには表示されませんがお待ち下さい。
 
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