2015年03月03日
叔母と食事会
こんばんは、pyoです。
今日はひな祭りでしたね~。
玄関に飾ってみました。
紅白梅図屏風のレプリカと、巻き紙風のおひなさま。
どちらも母が活け花をやっていた頃にそろえていたものです。
何か花をと思ったけど、せっかくの紅白梅図屏風だから、
まあいいかと手抜きで。(^^ゞ
今日は午前・午後ともエンジェルリンクのskypeセッションだったので。
(全く偶然にも、今日はどちらも大天使ラファエル。
今日は私どうやら大天使ラファエルとのコラボな日?のようです。)
さすがに二つエンジェルリンクを終えると
甘いのでエネルギー補充したくなる私。
黒糖かチョコでもかじるか、とキッチンにいったら、かわいい箱が置いてありました。
主人にきいたら、義母からのプレゼント。
あけたら・・・
かわいい京菓子!!
カップル菓子もありました。かわいい~。
お義母さん、ありがとう。(^人^)
先日の日曜日は、久しぶりに叔母と母との会食でした。
今日はひな祭りでしたね~。
玄関に飾ってみました。
紅白梅図屏風のレプリカと、巻き紙風のおひなさま。
どちらも母が活け花をやっていた頃にそろえていたものです。
何か花をと思ったけど、せっかくの紅白梅図屏風だから、
まあいいかと手抜きで。(^^ゞ
今日は午前・午後ともエンジェルリンクのskypeセッションだったので。
(全く偶然にも、今日はどちらも大天使ラファエル。
今日は私どうやら大天使ラファエルとのコラボな日?のようです。)
さすがに二つエンジェルリンクを終えると
甘いのでエネルギー補充したくなる私。
黒糖かチョコでもかじるか、とキッチンにいったら、かわいい箱が置いてありました。
主人にきいたら、義母からのプレゼント。
あけたら・・・
かわいい京菓子!!
カップル菓子もありました。かわいい~。
お義母さん、ありがとう。(^人^)
先日の日曜日は、久しぶりに叔母と母との会食でした。
叔母とはイマイユ(新鮮な魚)の料理を食べに行こうと話してたのですが
生憎当日は風が強く時折雨。
目が悪い母を連れて行くのは困難が多い、ということで
急遽、大型スーパーの食事処へ。
駐車場は立体、雨を気にせず出入りできるのがいいのですが
みんな同じこと考えるんですね、親子連れがいっぱい。(^^;;;人混み~。
でも明るいので、母が自力で歩きやすい。
「車いす借りる?」と叔母に聞かれたのですが
いえいえ、歩ける間は車いすに座らせると怒るんですよ、母。
てことで手をとってゆっくり歩きました。
主人にも同行してもらって、食事処の順番待ちのリストにのっけてもらい、
母を近くに座らせて叔母と私は一度トイレへ。
戻ってくると・・・。
母と主人、しっかり手をつないで待っていました。
二人の背中見て「なんだか可愛いね。」と、叔母と私。(^^)思わずパシャ。
施設に迎えに行った時。
母はかろうじて私のことは憶えているのですが、妹である叔母のことは名前を聞いても思い出せず。
何度か叔母が「私よ~」と手をとって話しているうちに
はっと思い出して、思わず抱きしめ、すがりついて泣き出しました。
その後母は叔母に
「あんた、旦那はどうしたねぇ?子どもはいたねぇ?何人いたねぇ?名前は何だったかねぇ?旦那はどうしたねぇ?いま何してるの?」
という質問を何度も投げかけ、こたえを聞いては首を傾げ。
また30分後には同じ質問を投げかけ、叔母も根気よく同じ返事をして、の繰り返し。
アルツハイマー型の認知症なので記憶が壊れていくのは仕方ないのですが
母はその記憶を何とかつなげようと頑張って、
その結果、予想外の違う世界、違う出来事を頭の中で作り出しています。
普段、施設にいる人達は母の記憶にある身内とは違う人達なので
母が話す事は何を聞いても「へ~。そうなんだ。」程度で済むのですが
身内が「こうなんだよ」と話すと、母は混乱を始めます。
なのでここで傾聴と承認、反復が大切になるのですが
娘である私はまだまだこれが難しかったり。
ところが叔母は上手に相槌をうち、
「そうなんだね」と母の世界をこわさず会話を続けてくれました。
叔母の話を聞くとまだ若い頃、嫁ぎ先でやはり認知症の身内のおかげで苦労した体験があるらしく。
当時はアルツハイマーも認知症も、そんな言葉すら皆知らなかった頃。
もちろん老人ホームなんてろくになかった戦後の混乱期の沖縄。
「あんた、何させてるんだ!」と
近所に住む身内から叱られて、想像もつかないことをやらかす認知症の老人の行動に振り回されて
「大変だったわよ~。あの頃はね。ほほほ。(^o^)」
と、笑う叔母に。
いま、母の世話のほとんどを施設に頼っている私は
叔母の偉大さに学ぶこといっぱい、教えてもらえる事いっぱい、
手をあわせたくなります。
目が悪くなって、盲になったと言う母の言葉を信じると
病状が進行したかなぁ?眼科のお医者様は変わらないっていうけど???
と気になっていたのですが。
足元がよく見えてない母は、手をとってさらに声をかけて歩きます。
スーパーの中では段差がないので
「今はまっすぐ歩いて大丈夫。段差ないよ。ぶつかるのないよ。」
「ぶつかるのないなら、私はさっさと歩けるよ。」
という会話を繰り返しながら、母に自分の足で歩いてもらってます。
ほんとにスピードが変わるんです。
ああ、これならまだ老人のとか薬の副作用での小刻み歩きじゃないな、とわかるんですが。
人混みの大型スーパーの中、向かい側からわーっと人波がくると
母は驚いて立ち止まり、また歩き出すまでそろそろとスリ足。
「今はまっすぐ歩いて大丈夫。段差ないよ。ぶつかるのないよ。」
「ぶつかるのないなら、私はさっさと歩けるよ。」
と、また同じ会話を繰り返して歩いてたのですが…
はたと気づきました。
人波がよってきた時(1m以上向こう側)で気づいて立ち止まるのなら。
ばーちゃん、見えてるんじゃん!(←本人談は、まったく見えない)
明かりがキャッチできる程度の視力なら、
以前とほとんど変わってないってこと。
食べ物にしろ、叔母が母を誘導している時の様子と、
車の乗降時に足台としておいているすのこに対しては
「ちゃんと見えてる」というあたりを加味して考えると。
目の病状、進行してません。
頭の病状が、進行してるんだわ。
そんな事がわかった、食事会でした。
叔母は「楽しかった~。ね、こんどはあんたが話していたそのお店に行こう♪」と
楽しそうに言ってくれました。
で。
「あんたの母ちゃん、長生きするよ~ってユタに言われたよねぇ。」
思い出させてくれました。
そう、記憶や判断力は怪しくなってる母ですが
歩いてる姿見てたら、身体は健康。
いまいる施設は長寿者が多いので、まだまだ元気に過ごせそうです。
生憎当日は風が強く時折雨。
目が悪い母を連れて行くのは困難が多い、ということで
急遽、大型スーパーの食事処へ。
駐車場は立体、雨を気にせず出入りできるのがいいのですが
みんな同じこと考えるんですね、親子連れがいっぱい。(^^;;;人混み~。
でも明るいので、母が自力で歩きやすい。
「車いす借りる?」と叔母に聞かれたのですが
いえいえ、歩ける間は車いすに座らせると怒るんですよ、母。
てことで手をとってゆっくり歩きました。
主人にも同行してもらって、食事処の順番待ちのリストにのっけてもらい、
母を近くに座らせて叔母と私は一度トイレへ。
戻ってくると・・・。
母と主人、しっかり手をつないで待っていました。
二人の背中見て「なんだか可愛いね。」と、叔母と私。(^^)思わずパシャ。
施設に迎えに行った時。
母はかろうじて私のことは憶えているのですが、妹である叔母のことは名前を聞いても思い出せず。
何度か叔母が「私よ~」と手をとって話しているうちに
はっと思い出して、思わず抱きしめ、すがりついて泣き出しました。
その後母は叔母に
「あんた、旦那はどうしたねぇ?子どもはいたねぇ?何人いたねぇ?名前は何だったかねぇ?旦那はどうしたねぇ?いま何してるの?」
という質問を何度も投げかけ、こたえを聞いては首を傾げ。
また30分後には同じ質問を投げかけ、叔母も根気よく同じ返事をして、の繰り返し。
アルツハイマー型の認知症なので記憶が壊れていくのは仕方ないのですが
母はその記憶を何とかつなげようと頑張って、
その結果、予想外の違う世界、違う出来事を頭の中で作り出しています。
普段、施設にいる人達は母の記憶にある身内とは違う人達なので
母が話す事は何を聞いても「へ~。そうなんだ。」程度で済むのですが
身内が「こうなんだよ」と話すと、母は混乱を始めます。
なのでここで傾聴と承認、反復が大切になるのですが
娘である私はまだまだこれが難しかったり。
ところが叔母は上手に相槌をうち、
「そうなんだね」と母の世界をこわさず会話を続けてくれました。
叔母の話を聞くとまだ若い頃、嫁ぎ先でやはり認知症の身内のおかげで苦労した体験があるらしく。
当時はアルツハイマーも認知症も、そんな言葉すら皆知らなかった頃。
もちろん老人ホームなんてろくになかった戦後の混乱期の沖縄。
「あんた、何させてるんだ!」と
近所に住む身内から叱られて、想像もつかないことをやらかす認知症の老人の行動に振り回されて
「大変だったわよ~。あの頃はね。ほほほ。(^o^)」
と、笑う叔母に。
いま、母の世話のほとんどを施設に頼っている私は
叔母の偉大さに学ぶこといっぱい、教えてもらえる事いっぱい、
手をあわせたくなります。
目が悪くなって、盲になったと言う母の言葉を信じると
病状が進行したかなぁ?眼科のお医者様は変わらないっていうけど???
と気になっていたのですが。
足元がよく見えてない母は、手をとってさらに声をかけて歩きます。
スーパーの中では段差がないので
「今はまっすぐ歩いて大丈夫。段差ないよ。ぶつかるのないよ。」
「ぶつかるのないなら、私はさっさと歩けるよ。」
という会話を繰り返しながら、母に自分の足で歩いてもらってます。
ほんとにスピードが変わるんです。
ああ、これならまだ老人のとか薬の副作用での小刻み歩きじゃないな、とわかるんですが。
人混みの大型スーパーの中、向かい側からわーっと人波がくると
母は驚いて立ち止まり、また歩き出すまでそろそろとスリ足。
「今はまっすぐ歩いて大丈夫。段差ないよ。ぶつかるのないよ。」
「ぶつかるのないなら、私はさっさと歩けるよ。」
と、また同じ会話を繰り返して歩いてたのですが…
はたと気づきました。
人波がよってきた時(1m以上向こう側)で気づいて立ち止まるのなら。
ばーちゃん、見えてるんじゃん!(←本人談は、まったく見えない)
明かりがキャッチできる程度の視力なら、
以前とほとんど変わってないってこと。
食べ物にしろ、叔母が母を誘導している時の様子と、
車の乗降時に足台としておいているすのこに対しては
「ちゃんと見えてる」というあたりを加味して考えると。
目の病状、進行してません。
頭の病状が、進行してるんだわ。
そんな事がわかった、食事会でした。
叔母は「楽しかった~。ね、こんどはあんたが話していたそのお店に行こう♪」と
楽しそうに言ってくれました。
で。
「あんたの母ちゃん、長生きするよ~ってユタに言われたよねぇ。」
思い出させてくれました。
そう、記憶や判断力は怪しくなってる母ですが
歩いてる姿見てたら、身体は健康。
いまいる施設は長寿者が多いので、まだまだ元気に過ごせそうです。
この記事へのコメント
頭が下がります 私もいつかいく道かなって 少し思いました pyoさんの立場も お母様の立場も わからないけど そうなっても 受け入れて前を向いていく自分でありたいです
いつもシェアありがとう
いつもシェアありがとう
Posted by かぶ at 2015年03月04日 21:23
歩ける間は、歩く。大事なんですね。
手をつなげるあいだは、手をつなぐ。^^
玄関の飾りつけが現代風の右に雌雛で、
京菓子は、古式な京都風の右に雄雛。
いやいや、いろいろ勉強になります。
手をつなげるあいだは、手をつなぐ。^^
玄関の飾りつけが現代風の右に雌雛で、
京菓子は、古式な京都風の右に雄雛。
いやいや、いろいろ勉強になります。
Posted by び ん at 2015年03月05日 05:47
◯かぶさん
そうですね~。
しっかりとお医者様に相談してくださいね。
◯びん教授
あんのぉ~。(汗)
沖縄ってもともと「お内裏様とお雛様」…って文化無いんですよねぇ、
ご存知の通りの歴史ですから。
雛壇の並びがどういう意味持ってるかは学んで知ってますが
個人的にはただ手にとった順にぽんと置いただけで
右だ左だなんて考えても無いです。
(^^;そこ参考にしないでくださいまし…。
焦るじゃない(笑)
そうですね~。
しっかりとお医者様に相談してくださいね。
◯びん教授
あんのぉ~。(汗)
沖縄ってもともと「お内裏様とお雛様」…って文化無いんですよねぇ、
ご存知の通りの歴史ですから。
雛壇の並びがどういう意味持ってるかは学んで知ってますが
個人的にはただ手にとった順にぽんと置いただけで
右だ左だなんて考えても無いです。
(^^;そこ参考にしないでくださいまし…。
焦るじゃない(笑)
Posted by 町田律子(pyo) at 2015年03月05日 22:58
迷惑コメントが入り始めたので「承認後受け付ける」にしています。すぐには表示されませんがお待ち下さい。