2010年07月09日
お金はエネルギー
最近ブログ記事の方はパステルと生活話題が主になっていますが、私自身は実はもっとどっぷりとスピリチュアルを日々感じるような生活をしております。
ただ、日常とスピリチュアルを切り離して語るのが難しいほど、
それは常にそこにある
といった状況なんですよねぇ。(^^ゞ
あまりに当たり前にディープな話題ができてしまう環境にいるので、ぽろっと話したことに驚かれると、逆にとっても新鮮に感じてしまいます。
先日、セッションの時にこう言われました。
「そんな考え方、初めて聞きました。」
内容が思ったより深かったためか、追加で支払いたい、と考えられたようで。
そうでなければ、次回は手土産を買ってこよう・・・と思われていたとのこと。
私はそれをお断りしました。
今回はこのセッションでこの金額を受け取る、と決めていましたので、それ以上は不要だったんです。
「それで支払わないと気持ちが満足しない、ということでしたら、その分どこかに寄付してください。」
とお伝えしました。
ただ、日常とスピリチュアルを切り離して語るのが難しいほど、
それは常にそこにある
といった状況なんですよねぇ。(^^ゞ
あまりに当たり前にディープな話題ができてしまう環境にいるので、ぽろっと話したことに驚かれると、逆にとっても新鮮に感じてしまいます。
先日、セッションの時にこう言われました。
「そんな考え方、初めて聞きました。」
内容が思ったより深かったためか、追加で支払いたい、と考えられたようで。
そうでなければ、次回は手土産を買ってこよう・・・と思われていたとのこと。
私はそれをお断りしました。
今回はこのセッションでこの金額を受け取る、と決めていましたので、それ以上は不要だったんです。
「それで支払わないと気持ちが満足しない、ということでしたら、その分どこかに寄付してください。」
とお伝えしました。
そういえば以前、手帳のプレゼント企画をたてたときも
「当選した分、どうかその代金をどこかに寄付してください」
とお伝えしましたっけ。
一体それはどこに寄付するのがpyoの意志に沿う事になるのか?
とまで深刻に考えられた方がおられたようです。(^^;
でもそれはやり方を考えたから。
私は在り方を問う、在り方を伝える者ですから、
それはどこでも構わないんです。
あなたの心が「YES」と答えるところに、寄付してください、とお伝えしました。
お金というのは「エネルギー」だと言われています。
お金というのを指す時、あなたは何をイメージするでしょうか?
お札? 小銭? それとも 通帳の残高?
それらは、結局
紙であったり、金属であったり、紙に印字されたインクであったりするわけで。
実は、それ以上でもそれ以下でもないんです。
ではなぜ人はお金を欲しがるのか。。。?
それは、お金というものがあると得られるものが欲しいという事。
つまり、お金を出せば、欲しいのが自由に買える。
それは、「欲しいのが買える自由」を欲しているのではないでしょうか?
欲しいのはそこにある「自由」であって、紙きれではないでしょう?
つまり、お金が欲しいと思う時。
そのとき、本当に欲しいのは「自由」というエネルギーなのだ、と。
そこに気付いてみると、経済と言うのがまるで別のものに見えてきます。
購入できる自由。
手に入れることのできる自由。
ならば、紙幣がなくても手に入れられるものについては、「お金がほしい」と汲々しなくても構わないのでは?
むしろ、「手に入れたい」と思うものは、本当に手に入れたいものなのでしょうか?
実は何かの代替品だったりしませんか?
あなたの心が本当に欲しいのは、その「物」でしょうか?
それとも、その「物」が満足させてくれる「心」ではないでしょうか?
私のネットショップに載せているメニューの料金は、
殆どがハイヤーたちからの指示で決めたものです。
もちろん、伝授系は他の方のメニューも参考にさせていただきましたが
最終的には「これ。」と指示された金額。
ですので、そのセッションについての料金は、多い少ないについて私自身は思い煩うことはありません。
(…って格好よく書きたいところですが、最初の頃は相当抵抗ありましたよー。^^; )
お金がエネルギーである、ということと
新たなエネルギーを得るには、まず持っているエネルギーを手放すこと、
という情報が、全くリアルに現れたことがあります。
ある日、ネットショップの集計額をみて「うわー、今月これだけかぁ」とつぶやいた月のこと。
まぁいいや気分で一件、千円の寄付をしました。
「今月赤字は確実、だけど生きていけない状態じゃなし。」
家中の小銭を漁って集めてやっと集金に支払いをした、とか
高校の授業料が払えなくて授業を受けさせてもらえず帰宅する羽目になったとか
いまお米買えないから、じゃぁ残っている小麦粉に塩と水まぜて焼いちゃお、パン代わりだわ。
なーんて体験を若いうちにしてきたおかげで、
結構こういうところは肝が据わっている…と自分で思っているわけですが。
それでもいま実際には会社員時代の収入なんて遥か彼方な状態ですから、不安を感じることがないわけではありません。
(この不安に捕まると、数字のメッセージが立て続けに「豊かさが来る」「信じろ」と伝えてきます。^^; )
そこでそういう時は、戦後の困窮時代を乗り越えてきたおじーやおばーたちの体験談を思い出します。
そうすると歌が浮かぶんですよね。
♪なんくるないさぁ、やってみれ
(BIGIN の「おじー自慢のオリオンビール」より)
そうだよなー。
ま、なんくるないさ。働き盛り二人だけの家族だし。
すると寄付直後、メールを開いたらエンジェルリンクの申込が入っていました。
あまりのタイミングの良さに、口がぽかーんと開いたほど。(笑)
そして数日後にまた伝授の申し込みがあり…と、立て続けにお仕事をいただきました。
それどころか、臨時の派遣仕事まで入ってきたんです。
こんなわけで、お金と言うエネルギーをいい形で循環させること。
決してその場でプラスに見えなくても、結果的により大きなギフトを運んできてくれるということ。
それをここ半年ほど、実践&実感しています。
こんな話をセッションでさせていただいたところ、
「お金への執着を捨てろ、とあちこちで言われてたけど
執着してるとか言われても意味がわからなかったのが
腑に落ちました!」
と言っていただけました。
その言葉こそ、私への一番のギフトです。
ありがとうございます。
だって、私は「伝えたい想い」を持っていて。
それがちゃんと伝わった、という手ごたえが得られたわけですから、
とっても「気持ち、満足!」♪
「当選した分、どうかその代金をどこかに寄付してください」
とお伝えしましたっけ。
一体それはどこに寄付するのがpyoの意志に沿う事になるのか?
とまで深刻に考えられた方がおられたようです。(^^;
でもそれはやり方を考えたから。
私は在り方を問う、在り方を伝える者ですから、
それはどこでも構わないんです。
あなたの心が「YES」と答えるところに、寄付してください、とお伝えしました。
お金というのは「エネルギー」だと言われています。
お金というのを指す時、あなたは何をイメージするでしょうか?
お札? 小銭? それとも 通帳の残高?
それらは、結局
紙であったり、金属であったり、紙に印字されたインクであったりするわけで。
実は、それ以上でもそれ以下でもないんです。
ではなぜ人はお金を欲しがるのか。。。?
それは、お金というものがあると得られるものが欲しいという事。
つまり、お金を出せば、欲しいのが自由に買える。
それは、「欲しいのが買える自由」を欲しているのではないでしょうか?
欲しいのはそこにある「自由」であって、紙きれではないでしょう?
つまり、お金が欲しいと思う時。
そのとき、本当に欲しいのは「自由」というエネルギーなのだ、と。
そこに気付いてみると、経済と言うのがまるで別のものに見えてきます。
購入できる自由。
手に入れることのできる自由。
ならば、紙幣がなくても手に入れられるものについては、「お金がほしい」と汲々しなくても構わないのでは?
むしろ、「手に入れたい」と思うものは、本当に手に入れたいものなのでしょうか?
実は何かの代替品だったりしませんか?
あなたの心が本当に欲しいのは、その「物」でしょうか?
それとも、その「物」が満足させてくれる「心」ではないでしょうか?
私のネットショップに載せているメニューの料金は、
殆どがハイヤーたちからの指示で決めたものです。
もちろん、伝授系は他の方のメニューも参考にさせていただきましたが
最終的には「これ。」と指示された金額。
ですので、そのセッションについての料金は、多い少ないについて私自身は思い煩うことはありません。
(…って格好よく書きたいところですが、最初の頃は相当抵抗ありましたよー。^^; )
お金がエネルギーである、ということと
新たなエネルギーを得るには、まず持っているエネルギーを手放すこと、
という情報が、全くリアルに現れたことがあります。
ある日、ネットショップの集計額をみて「うわー、今月これだけかぁ」とつぶやいた月のこと。
まぁいいや気分で一件、千円の寄付をしました。
「今月赤字は確実、だけど生きていけない状態じゃなし。」
家中の小銭を漁って集めてやっと集金に支払いをした、とか
高校の授業料が払えなくて授業を受けさせてもらえず帰宅する羽目になったとか
いまお米買えないから、じゃぁ残っている小麦粉に塩と水まぜて焼いちゃお、パン代わりだわ。
なーんて体験を若いうちにしてきたおかげで、
結構こういうところは肝が据わっている…と自分で思っているわけですが。
それでもいま実際には会社員時代の収入なんて遥か彼方な状態ですから、不安を感じることがないわけではありません。
(この不安に捕まると、数字のメッセージが立て続けに「豊かさが来る」「信じろ」と伝えてきます。^^; )
そこでそういう時は、戦後の困窮時代を乗り越えてきたおじーやおばーたちの体験談を思い出します。
そうすると歌が浮かぶんですよね。
♪なんくるないさぁ、やってみれ
(BIGIN の「おじー自慢のオリオンビール」より)
そうだよなー。
ま、なんくるないさ。働き盛り二人だけの家族だし。
すると寄付直後、メールを開いたらエンジェルリンクの申込が入っていました。
あまりのタイミングの良さに、口がぽかーんと開いたほど。(笑)
そして数日後にまた伝授の申し込みがあり…と、立て続けにお仕事をいただきました。
それどころか、臨時の派遣仕事まで入ってきたんです。
こんなわけで、お金と言うエネルギーをいい形で循環させること。
決してその場でプラスに見えなくても、結果的により大きなギフトを運んできてくれるということ。
それをここ半年ほど、実践&実感しています。
こんな話をセッションでさせていただいたところ、
「お金への執着を捨てろ、とあちこちで言われてたけど
執着してるとか言われても意味がわからなかったのが
腑に落ちました!」
と言っていただけました。
その言葉こそ、私への一番のギフトです。
ありがとうございます。
だって、私は「伝えたい想い」を持っていて。
それがちゃんと伝わった、という手ごたえが得られたわけですから、
とっても「気持ち、満足!」♪
Posted by 町田律子(pyo) at 07:00│Comments(6)
│スピリチュアル
この記事へのコメント
Pyoさんに以前、六合の対面セッションでお世話になりました。
私もセッション以外でもお世話になったので、別でお礼がしたいと申し出た時に、どこか困った方の為に寄附して下さいと言われました。
一時は、一方的にお礼を送金しようかと考えましたが、Pyoさんの意思にそぐわないかと悩み、違う形で寄附、募金しました。
あれから日にちも過ぎましたが、Pyoさんの与えた影響は大きいです。
私もセッション以外でもお世話になったので、別でお礼がしたいと申し出た時に、どこか困った方の為に寄附して下さいと言われました。
一時は、一方的にお礼を送金しようかと考えましたが、Pyoさんの意思にそぐわないかと悩み、違う形で寄附、募金しました。
あれから日にちも過ぎましたが、Pyoさんの与えた影響は大きいです。
Posted by 蓮の花に乗った観音様の絵 at 2010年07月09日 07:54
お金・・・わたしは貯めるより流したほうが、また入ってきます。なぜか(笑)
Posted by ジゼル at 2010年07月09日 11:49
きれいに表現できてよかったですね。。。
Posted by Light at 2010年07月09日 12:57
●蓮の花に乗った観音様の絵さん
そうでしたねー。^^
いまご案内した件を具体的に準備中です。
さてネットでどこまでできるか…とりあえず対面から始めますのでもう少しお待ちくださいね。
●ジゼルさん
おお、実践されてるんですね♪
●ライトさん
はい、ありがとうございます。
もっと短く簡潔に表現できないかなぁ・・・と、これが課題です。
そうでしたねー。^^
いまご案内した件を具体的に準備中です。
さてネットでどこまでできるか…とりあえず対面から始めますのでもう少しお待ちくださいね。
●ジゼルさん
おお、実践されてるんですね♪
●ライトさん
はい、ありがとうございます。
もっと短く簡潔に表現できないかなぁ・・・と、これが課題です。
Posted by pyo at 2010年07月09日 17:14
私もお金はエネルギーと知ってから、お金の使い方が変わりました。
すべてがエネルギーなんですね~♪
すべてがエネルギーなんですね~♪
Posted by minto at 2010年07月09日 20:50
●mintoさん
そうそう、私も変わりました。
全ての物、事象、何もかもがエネルギーなんですよねぇ~。
そうそう、私も変わりました。
全ての物、事象、何もかもがエネルギーなんですよねぇ~。
Posted by pyo at 2010年07月10日 23:07
迷惑コメントが入り始めたので「承認後受け付ける」にしています。すぐには表示されませんがお待ち下さい。