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2025年05月11日

ただただ、存在を受け入れる。

こんばんはpyoです。
久しぶりに自宅のPC開きました。

またブログ放置、一ヶ月たってるわ。(^^;

え~っと、今日のブログネタ・・・もといテーマは。

 存在そのものを認める、受け入れる。=愛

という話。
なんかぴょっと頭に浮かんだので書いてみます。

ただただ、存在を受け入れる。



愛情とか、情愛とか親子愛とか恋人の愛とかそんなものじゃなくて。
男とか女とか、親子とか他人とか、友人とかetc...は無関係に。
相手のその時その時のあり様に振り回されずに。

ただただ、相手の「存在」を受け容れる、という愛の話。

うん、そうね。
「相手」だけじゃない。
そこには「自分自身」も含まれる。

ちゃんとしてるとか、いい子でいるとか、優しいとか、優秀とか、偉い立場とか、自分の味方かどうかとか、そんなの、まーったく関係なく。

ただただ、ここに「存在」していることを認め、受け容れる。
そこになんの評価もなし。


でも人は生きていく中で色んな事が起こり、社会情勢もあったり、振り回されたり悩んだり。
ということがあるわけで、色々苦しんだり、悲しんだり、嬉しかったり、、、喜怒哀楽を味わうわけですよね。
その中で「どう生きるか」を常に問われているような。選択し続けるような。

で、人生そうやって生きていく。

つまりそれ、ピンポイントのドット「・」がずっと続いて人生という絵を描いているようなもので。

その、生まれてから死ぬまでのトータルの人生を抱えた「魂」が、本来のその人。

例えば悪意の塊のような人がいたとしても。
そもそもそこに流れるような人生の状態があって、悪意を抱えるようになった、という
つまり悪意も善意も人生についてまわるトッピングのようなもので。

その人の「魂」そのものは、表面にくっついたトッピングとは違う、もっと奥深いところに存在している。


「存在を認める」「存在を受け容れる」というのは
その「魂そのもの」を受け容れるということなんです。


そういや昔「十二単のようなもの」って表現したことあったっけ。

外側に着込んでいるものばーっかりでお互い判断しちゃうより
それ全部脱いだほうが楽じゃね?って話。


あの人はあんな人だ、こんな人だと警戒心持ったり。
同じように自分はどうせこんな人だと自分にがっかりしたり。

それ全部、外側ですよ。
その外側にくっついているものは、その人が自分の人生をどうにか生きようと頑張ってきた鎧。


ああ、頑張って生きているんだなー。


って、自分にも他人にも思ってみる。
結構、自分の心が楽になります。

ハート


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Posted by 町田律子(pyo) at 21:33│Comments(0)解放への道
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